日本海軍は駆逐艦にどんな強さを求めたのか?

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終戦から80年を迎える今年は駆逐艦「雪風」を題材にした映画が公開されました。
主役の艦となった「雪風」をはじめ日本海軍は駆逐艦にどのような強さを求めたのか。

目次

駆逐艦とは?

まず駆逐艦とはどんな艦艇なのか?
その起源は19世紀に遡る。魚雷を武器に戦う水雷艇を撃退する艦艇として誕生したのが駆逐艦です。
水雷艇は主力艦である戦艦や巡洋艦を魚雷で攻撃しようと狙い、駆逐艦は主力艦を守るために水雷艇を撃退する。敵を撃退、つまり駆逐する艦艇と言う事で駆逐艦となったのです。

日露戦争での日本駆逐艦

日本海軍の駆逐艦も主力艦護衛という役目もありましたが、攻撃的な任務にも投入された。
1904年(明治37年)に勃発した日露戦争ではロシア軍が軍港として使用している旅順へ日本海軍の駆逐艦10隻が出撃し、ロシア軍の戦艦「ツェサレーヴィッチ」・「レトヴィザン」と防護巡洋艦「パラーダ」に魚雷を命中させ、3隻は座礁した事もあり一時は行動不能になった。

翌年に起きた日本海海戦の夜間戦闘で駆逐艦は魚雷と連携機雷でロシアのバルチク艦隊を攻撃する。夜間での行動で衝突事故や敵艦を見失うトラブルが起きながらも戦艦「ナヴァリン」を撃沈する戦果を上げた。

強さを求められる日本駆逐艦

日露戦争でその攻撃力を示した日本海軍の駆逐艦は大正時代に入るとより戦闘能力が強化される。その理由としてワシントン海軍軍縮条約による戦艦の保有数が制限されロンドン海軍軍縮条約で巡洋艦と駆逐艦も保有数が制限された。ほとんどの種類の軍艦を持つ数が制限されると日本海軍は「個艦優秀主義」と称する個々の艦艇の能力を高める。

駆逐艦や水雷艇のような小型艦艇も武装を増して戦闘力を強くさせたが、転覆事故を起こす悲劇を起こしてしまします。それでも日本海軍は仮想敵の米国よりも劣勢な艦艇の数を補う為に駆逐艦を強武装の艦艇として作り続けます。

太平洋戦争で戦う日本駆逐艦

1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争は開戦し、日本の駆逐艦がその真価を問われる事となります。12.7センチ砲を備えた2連装の砲塔が主砲として3基備え、魚雷発射管を4連装2基備え最大速力34ノットの高速で走る特型駆逐艦を主力駆逐艦として日本海軍は米海軍と戦いますが、太平洋戦争は航空機が主戦力の戦争になり駆逐艦も対空戦闘を何度も戦い更に兵員や物資の輸送も行う勝手の違う任務をこなします。

そんな日本駆逐艦が真価を発揮したのが1942年(昭和17年)11月30日に起きたルンガ沖海戦です。8隻の駆逐艦で編成された日本艦隊は重巡洋艦4隻・軽巡洋艦1隻・駆逐艦6隻もの米艦隊と戦い重巡洋艦1隻を撃沈し3隻を大破させた。日本艦隊は駆逐艦1隻を失ったものの劣勢を覆す勝利をした。
敵艦との戦いに重点を置いた作りの日本駆逐艦の強さは証明されましたが航空機と潜水艦との戦いが多い太平洋戦争では特型駆逐艦よりも対空戦を重視した「秋月」型や簡易な構造で短期間で建造できる「松」型が新たに日本海軍が求めた駆逐艦となりました。

featured image:Shizuo Fukui, Public domain, via Wikimedia Commons

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