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妖怪伝説かちかち山は、何を風刺したのか?

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昔話の「かちかち山」をご存知だろうか。
単なるおとぎ話とも言えるが、化け狸が人間夫婦を陥れ、その復讐を兎が果たしたという、ある種の妖怪退治ものとも言える。

何の伏線もなく現れた兎や、残酷性の高い狸の行動、人間にとってはハッピーエンドとはいえず、教訓らしい教訓のない結末など、どこか歯切れの悪い話だ。
この歯切れの悪さに、1つの可能性がある。
「事実は小説より奇なり」すなわち、歴史上の事実を風刺した物語ではないか、という仮説である。

目次

かちかち山の時代

かちかち山が文献に現れたのは江戸時代とされ、成立そのものは室町時代末期と考えられているという。

室町時代は・・・足利尊氏が室町幕府を立ち上げた1336年から始まり、1573年の安土桃山時代への切り替わりによって終わる。

通算して230年以上という事になるが、「1337~1392年 南北朝時代の65年」、「1467~1573年 戦国時代の106年」は内戦状態であり、統一国家としての幕府だった訳ではない。

この中に、かちかち山を思わせるような、血みどろの対立は掃いて捨てる程あったと考えた方が自然である。
そんな世相の中、具体的にどの争いを、わざわざ寓話化して残したのだろうか?
人々に広く知れ渡っている以上、誰もが「なるほどあの話だな」と納得出来るような、そんな有名な事件を表しているのではなかろうか。

狸は誰だ?

かちかち山を人間の対立の物語と考えた場合、ポイントとなるのは、

  • 人間(おじいさん夫婦):第1勢力
  • 狸:第2勢力
  • 兎:第3勢力

という風に分かれる。

兎がおじいさんと別勢力扱いになるのは、兎の「復讐」時に、おじいさんが一切協力しない事からも明らかだ。
そもそも復讐も兎が自発的に言い出しており「仇を取ってくれ」と泣きついたという描写が出る事は稀だ。

これはすなわち、何らかの正当性を持つ第1勢力が、第2勢力に討伐される、第3勢力は、第1勢力被害を理由として、第2勢力を討ち果たしたという構図といえる。

戦乱に乱れた国では、非常に有り触れた話である。だが、人々に知られたもの、とすると絞り込めていく。
日本全体を巻き込むような、室町時代の人々に身近で、語り継がれた対立。

つまり、南北朝の争いだ。
『太平記』によって文書化され、物語僧の語りによって広められた事から、部分的ながら、かなり広く、詳細な内容が伝わっていただろう。

「かちかち山≒太平記」説

だとすると、人間、狸、兎は、それぞれ何に当てはまるのだろうか。
『太平記』は、後醍醐天皇の即位から物語が始まり、鎌倉幕府の滅亡を1つの前半の山場とする。

だが、歴史はそれよりも前から続いている。
後醍醐天皇の属する朝廷から、実質的な権力を簒奪したのは、源氏、つまり鎌倉幕府である。

すなわち、朝廷が「人間」、鎌倉幕府が「狸」である。

おばあさんの殺害というモチーフは、壇ノ浦の戦いで、源氏が安徳天皇を自害に追い込んだ事だろう。では、狸がおじいさんにおばあさんの遺骸を喰わせるのはどういう意味か?
これは源頼朝が、武士の世には形骸に等しい「朝廷の権威」を、後鳥羽天皇に与える形になった事の比喩だろう。

その後権力は、源氏から執権の北条家に移ったが、大多数の人々の目には「鎌倉幕府」という「同じ狸の皮」をかぶっている事に変わりない。ここまでの流れは、かちかち山成立時から見ればかなり過去の出来事だが、『平家物語』として琵琶法師の手で人々に広められている。

「昔、大ヒットした映画」程度には知られ、時にリバイバルもされていたろう。
江戸時代でも歌舞伎で勧進帳が当たり前に受け容れられている事も、平家物語は充分残っていた証左になろう。

その後、兎がおじいさんの代理として狸に復讐を果たす。この兎は、お察しの通り、鎌倉幕府を滅亡させた足利尊氏である。
動物の中で、猛々しい獣ではなく兎に喩えられた理由は、「金烏玉兎」を象徴したのだろう。古代中国を起源とした発想に、太陽にいる鳥を烏とし月いる獣を兎とする考えがある。

これは、朝廷の儀礼でも使われたものである。「金烏」を表の権威である朝廷、それを陰から支える武士を「玉兎」に据えると話が合う。
この時点で「狸」の中の人は、鎌倉幕府の最高権力者である執権・北条高時ではない。
その遺児、「中先代」北条時行である。
漫画『逃げ上手の若君』がアニメ化もされたので、イメージが掴める人も多いだろう。

烏は太陽の使い

狸、中先代説

「狸」を北条時行と見た時、かちかち山における、「兎」足利尊氏の執拗な加害に理由が付く。

 兎は、1度で狸を倒せていない。

  • 薪に火を点ける(タイトル回収)
  • 唐辛子味噌(唐辛子はないので、恐らく毒)
  • 泥船で沈める

と、3回試み、ようやく止めを刺せている。

足利尊氏もまた、鎌倉幕府滅亡後、北条時行にターゲットを絞って3度目に、ようやく処刑出来ている。

  • 1335年7月 鎌倉を占拠、鎮圧されるも逃亡(中先代の乱)
  • 1338年6月 和泉国堺井浦・石津にて合戦、敗北するも逃げ延びる(石津の戦い)
  • 1352年2月 武蔵国、相模国で合戦、ついに捕らえられ、龍ノ口で処刑される(武蔵野合戦)

そして北条時行が処刑された龍ノ口は、五頭竜伝承が元になった地名で、水と縁の深い土地だ。
泥船が崩れ、池に沈んだ狸と重ねやすい。

脱兎の如く

かちかち山が、北条時行の寓話であった場合、これを語る人々の中に、歯切れの悪さが出るのも無理はない。
かちかち山が物語としてまとまりを見せた頃、守護大名が力を持ち、室町幕府の支配体制に終わりが見え始め、絶対的な正義という訳でもなかった。故に、痛快な復讐譚にならず、どちらもどこか陰湿さを持ち、煮え切らない結末となったのだ。

その後の兎こと足利氏がどうなったかと言えば、織田信長と対立し、滅亡している。
ただ、将軍足利義昭個人は逃げ延び、信長が光秀に討たれた後は、豊臣秀吉から所領を与えられている。
兎が上手い事やったという印象は、どうやら変わらないようだ。

※画像はイメージです。

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