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化け狸伝説としてのかちかち山

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猟奇民話としてお馴染みの昔話、『かちかち山』は、リメイクされる毎に残虐描写がオミットさせる事で有名である。
ここに登場する狸(または狢)は、昔話というフィルタを通しているから、何となく普通の獣のように受け容れているが、妖怪の「化け狸」と表現すべきではないだろうか。

目次

かちかち山の狸、化け狸説

『かちかち山』に出て来る狸の作中描写は、獣の領域を遥かに超えている。

第一に、人語を解する点。
カラスや九官鳥など、人語のような「音」を発する生物は実在するが、会話が成立するのは、一部の霊長類の特定個体だけだ。縛られている狸が、舌先三寸でお婆さんを騙す描写は、平均的な人を越えた頭脳と言語能力の存在を表している。

第二に、お婆さんを騙し、撲殺する点。
致傷致死の程度はともかく、「餅つきを手伝う」と言って、杵でお婆さんを殴るパターンは、多くのバージョンで共通する描写だ。隙を衝いて攻撃する時、その方法は慣れたものになりやすい。獣としての狸であるなら、牙や爪を使った攻撃を選ぶのが普通だ。

第一、狸の前肢で杵を振り上げる事は出来ない。人間の肩は、哺乳類の中で可動域が異様に大きい。
「振りかぶって投げる」動作は、霊長類に絞っても、人間以外には難しいとされる。それ故に、人間の投擲は必殺の技となり得、他の生物を圧倒した。
これが出来る肩を持つ狸は、本格的変化の前段階、いわゆる「信楽焼フォーム」が取れる化け狸しかいない。

第三が極めつけで、ばば汁という料理や、泥船という道具を「作成」している事だ。
汁の方は本能的な忌避感が出る筈の同属の肉を、「うまい」と言わせる料理に仕立てるのだから、かなりの腕前だ。
船の方も最後に沈んではいるが、そもそも僅かでも浮いていられるような船が、泥で作れるというだけで凄い。
この狸が人間と同等、むしろそれ以上の物作りの技術を持ち合わせている事は明らかだ。

こうなると、もう獣の可能性はゼロだ。
化け狸決定、妖怪伝説確定で良いだろう。

暗躍するウサギタヌキ

化け狸として見た時、ウサギとの関係性に1つの仮説が成立する。
あのウサギ、あまりに登場が唐突過ぎないだろうか?

徳島県三好郡の伝承に「ウサギタヌキ」なる化け狸が存在する。
この狸は、ウサギに化けて走り回り、追いかけて来た人間をからかったという。
つまり、「ウサギは別の狸が化けたものである」という仮説だ。
ウサギを狸の化身と考えた時、復讐パートの狸の行動は理解しやすいものになる。

作中で描かれる復讐は、

  1. 薪拾い後、放火
  2. 火傷に唐辛子味噌を塗る
  3. 泥船に乗せ、池に沈める

この3段階を取っているものが、一般的だろう。
名作アニメ『まんが日本昔ばなし』でも踏襲された手順なので、大半の日本人の共通認識になっている筈だ。

この時、狸はウサギの言う事を3回も信じている。
最初はともかく、後の2回はおかしな話だ。

まんが日本昔ばなし版では、2回目以降は「それは別のウサギだ」と言ってごまかしていたが、既に裏切られた狸が、初対面のウサギを信用するものでもない。
狸がお人好しとか間抜けの設定ならともかく、前半パートではお婆さんを騙して不意打ちしている程の策士なのだ。

太宰治は、これを「中年男と美少女の寓話」という説を唱えたが、ウサギがウサギタヌキであればそういう変化球も要らない。

ウサギタヌキがお爺さんの前にウサギの姿で現れたのは、狸の姿では信用されないという判断である。一方、狸の前で、ウサギタヌキは元の狸の姿で現れ、同属として信頼させた。

かちかち山の中で、狸が「化ける」という描写は特にない。
婆汁を食べさせるパターンの場合、狸はお婆さんのフリをするが、変化というよりも変装に近い。
そもそも変化できるなら、狸が捕まって吊された時、もっと容易に抜け出せたろう。

だとすると、化ける業に関して、ウサギタヌキの方が、狸より格上という事になる。これは単なる技術に留まらない、妖怪としての格の違いも意味する。
これなら、ウサギタヌキが狸を3回信じさせる事に説得力が出る。
格上の立場を利用し、パワハラ的に言う事を聞かせたのかも知れないし、「別の顔見知りの狸」に化けて近付いたのかも知れない。無論、格上のウサギタヌキの変化を、狸は見破れない。

兎の信用し過ぎは禁物

殺害動機

では何故、ウサギタヌキが、同属の筈の狸を殺害したのか?
これは、ウサギタヌキの無害さから説明が出来る。

ウサギタヌキの「化かし」は、欲に駆られた人を疲れさせる程度の、比較的無害なものである。
人の口の端に上がっても、ちょっとした笑い話や、「気を付けよう」という程度で終わる。
だが、狸の所業は、正当防衛の側面があるとはいえ、人間一人を獣らしからぬやり方で殺害している。しかも、お爺さんはそれが狸の仕業だとはっきり認識している。

ウサギタヌキは、その人生経験から、本気になった人間の、社会単位としての恐ろしさを知っている。山で最も強い獣の熊を狩り、木々を刃や火で払い、長年かければ山や川の形すら変える。人間の破壊にかける天才ぶりを知っている。

この話は不良狸1匹で話を終わらせなければならない。
ウサギタヌキはそう決断した。

最初、ウサギタヌキは狸を焼き殺そうとする。火は浄化の力を持つ。初歩とは言え妖力を身に着けた狸を退治するには有効だ。だが流石は化け狸、並の獣なら焼け死ぬ炎から何とか生き残る。

次に、火傷に唐辛子味噌を塗るが、これは後世の読み替えだ。『かちかち山』の成立時期である室町時代の日本に、アメリカ原産の唐辛子はない。
塗りつけたのは、附子、すなわちトリカブトなどの毒だろう。ある種の毒は、痛みを伴い、少量味わえば辛味と認識される事があるのだ。妖力が意外に高い化け狸は、毒を塗られても生き残る。お婆さんを殺した事で、段階を1つ越えていた可能性はある。

ウサギタヌキとしても、狸のしぶとさは予想外だったのだろう。
当初の描いていた、死体をお爺さんに見せてどん引きさせるというプランは破棄し、死体は残らないが確実な「池に沈める」プランに切り変える。

水に沈めるのは、殺しきれぬ化物を封印する時に使われる方法だ。死なぬまでも、復活の度に窒息し、肉体が滅びる。池が干上がらない限り、安全だ。
だが狸の方も警戒している。直接危害を加える今までとやり方を変えた。すなわち、自らの手で泥船を作らせたのだ。

本当の真相は、藪の中

こうして、ウサギタヌキは自分の正体を明かさぬまま、お爺さんに事の顛末を伝えた。

お爺さんは、スピーディーに狸が殺された事で、恨みの持って行き場がなくなり、人間達との敵対は回避できた。
何より、自ら妻の肉を喰らったという罪悪感は、この話を誰かに言い広める事を、躊躇わせた。

ウサギタヌキは、同胞殺しの苦みを覚えつつ、胸を撫で下ろした事だろう。
——或いは。
あの婆汁、狸単独でこしらえた訳では、なかったのかも知れない。

※画像はイメージです。

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