太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月6日に戦艦「大和」は米軍が侵攻している沖縄へ向う天1号作戦に出撃した。
「大和」最後の出撃を共にした艦艇を紹介します。
軽巡洋艦「矢矧」
「大和」最後の出撃で「大和」に次ぐ大型艦艇は軽巡洋艦「矢矧」です。
「阿賀野」型軽巡洋艦の3番艦として1943年(昭和18年)12月に竣工した。マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦に出撃し、レイテ沖海戦では敵護衛空母部隊と交戦している。
天1号作戦では第2水雷戦隊の旗艦として所属している駆逐艦を束ねる役割を担ったものの空襲で撃沈した。
駆逐艦「磯風」・「浜風」・「雪風」
第17駆逐隊の駆逐艦「磯風」・「浜風」・「雪風」はどれも「陽炎」型駆逐艦で太平洋戦争開戦から戦い続けた歴戦の艦である。「磯風」と「浜風」は真珠湾攻撃から機動部隊を護衛し、「雪風」はフィリピンなど南方攻略作戦に参加した。
ガダルカナル島攻防戦の頃は輸送任務に機動部隊護衛や第三次ソロモン海戦での交戦、ガダルカナル島からの撤収作戦と多様な任務に従事し、マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦にも出撃した。
天1号作戦では「磯風」と「浜風」が撃沈され「雪風」は生還した。
駆逐艦「朝霜」・「初霜」・「霞」
第21駆逐隊の駆逐艦「朝霜」・「初霜」・「霞」は「朝霜」が戦争中の1943年に竣工した「夕雲」型で、開戦前に竣工していた「初霜」は「初春」型で「霞」は「朝潮」型と3隻とも型が異なる駆逐艦で組んだ隊である。
開戦直後は「初霜」はセレベス島やバリ島など南方攻略作戦に「霞」は真珠湾攻撃の機動部隊に加わりアリューシャン列島攻略作戦や北方海域警備の任務に就いていた。
天1号作戦では「朝霜」と「霞」が撃沈された。「朝霜」は機関故障で艦隊から落伍してしまい最期が不明なまま乗員全員が戦死となっている。
駆逐艦「冬月」・「涼月」
第41駆逐隊の「冬月」と「涼月」は「秋月」型駆逐艦である。先に紹介した6隻が対艦戦闘を重視した駆逐艦に対して「秋月」型は対空戦闘を重視した駆逐艦です。主砲は対空砲の高角砲が装備された。
そんな「秋月」型の「冬月」と「涼月」だけでは来襲する米機動部隊からの攻撃隊を防ぐ事はできず「涼月」は浸水する大損害を受けながらも佐世保に自力で帰還、「冬月」も空襲を生き残る。
残存艦艇の帰還
米機動部隊の空襲で生き残ったのは「雪風」・「初霜」・「冬月」・「涼月」です。大破している「涼月」を除く3隻が「大和」など沈没艦の乗員を救助し「冬月」が第2艦隊参謀長森下信衛少将を救出し、「初霜」が「矢矧」の第2水雷戦隊司令である古村啓蔵少将を救出した。
古村は作戦を中止し帰投する事を命じた。
この生き残った駆逐艦が帰る事で沈没艦から救助された1700人以上の将兵も生還できたのです。


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