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海軍期待の局地戦闘機「雷電」

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太くずんぐりとした独特の姿をした局地戦闘機雷電
日中戦争での爆撃機の脅威を実感した日本海軍が初めて作った局地戦闘機が雷電です。

目次

中国大陸の戦訓

日中戦争において中国国民党軍の空軍はソ連からの支援を受けていた事もあり日本軍に対して積極的に抵抗をしていました。
特に日本軍を悩ませたのはソ連から供与されたSBー2爆撃機でした。

最高速度450km/hの速さは当時の日本海軍が持つ九五式艦上戦闘機では最高速度350km/hで対抗するのは難しい爆撃機です。
新たに配備される九六式艦上戦闘機も400km/hを越えたぐらいの速さでSB-2に追いつける戦闘機は零戦の登場までありませんでした。

海軍はSBー2の出現から初となる局地戦闘機の開発を始めます。

See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons

局地戦闘機に求められた性能

九六式艦上戦闘機など既存機がSBー2と戦うのが難しかったのは速度もありますが上昇力もあまり高くないのも問題でした。
レーダーの無い時期でもあり敵機来襲の時に滑走路から飛び立ちすぐに高い高度へ昇れる上昇力が必要だったのです。

昭和14年(1939年)に海軍は三菱へ開発を依頼します。
正式採用間近の零戦の仕事で忙しい堀越二郎技師を中心に局地戦闘機の開発が始まります。

高い速度と上昇力を実現するために一式陸攻にも使われている火星エンジンを採用
大型機用のエンジンを小型の戦闘機に積んだために独特の紡錘形と言うドングリみたいな形になりました。

難産だった雷電

昭和17年2月に試作1号機が完成し昭和18年10月に採用となった。
試作機を作ってからの開発はエンジンの不調やエンジンとプロペラの振動問題などの解決に時間がかかりました。
また実戦配備後も着陸速度の速さによる事故や飛行中に不意自転が起きる危険な「殺人機」と言われ扱いの難しい機体と言われました。

それでも600km弱の速度と高度6000mまで零戦よりも2分早い上昇力を実現した。
雷電が実戦に出る時期は太平洋戦争末期に入る頃でSBー2とは段違いのB-29が雷電が立ち向かう敵になっていました。
高度1万メートルを行くB-29に苦戦を強いられながらも日本海軍では月光と並ぶB-29に立ち向かえる戦闘機として戦い続けました。

※画像はイメージです。

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