都市伝説や怪談の文脈で、しばしば「合わせ鏡」が出て来る事がある。
概ね良い意味では使われず、悪魔が鏡の中に生じ現実に出て来るだの、または現実(観察者)にダメージを与えるだのといった結末となる。また、未来の姿が見えるといったパターンも存在する。
オカルトアイテムとして見た場合、合わせ鏡には、何があるのだろうか。
鏡の神話との親和性
鏡はオカルトと親和性の高いアイテムである。
光を高精度に反射するという性質上、奥に空間が広がっているように見えたり、光を「発する」ものと認識される事がある。三種の神器に八咫鏡が含まれるが、これも天照大神、すなわち太陽を象徴するという、オカルティックな由来である。
同様に、円形の鏡をご神体とする神社も複数存在する。
鏡の中にもう1つの世界が存在するという考えについては、神話やオカルトだけでなく、物語で言及されているというイメージも強い。
具体的に挙げれば『鏡の国のアリス』『ドラえもん』『ジョジョの奇妙な冒険』等々、恐らく現在進行形で同様なモチーフの作品が、次々に作られているだろう。
他に鏡は、「己を見つめる」不快さを描写するアイテムともなり得る。
ジークムント・フロイトが無意識を提唱して以来、自己はオカルティックなフィールドとなっている。
ラブクラフトの『アウトサイダー』における、怪物化した自己は、必ずしも表層だけの事ではない。
合わせ鏡は、元より不可解な鏡を、更に向かい合わせる行為だ。
覗き込めば、永遠にも感じられる連続した映像が映る。この連続は、人間にとって不快なものだ。無限は人間の想像力を超える。不明の闇は、不快、恐怖に容易に変異する。
無限の複写、繰り返される物語、細胞の無限の分裂、いずれも原型を超えて歪み、醜く衰えていく。
元が聖であろうと邪であろうと己であろうと変わらない。文化というより、生物的、本能的な嫌悪だ。
故に、合わせ鏡は、悪しき物として語られやすい。

合わせ鏡の実像
科学的に考えた時、合わせ鏡は必ずしも無限の鏡像を作る訳ではない。
鏡は100%の光を反射している訳ではない。
その反射率は、銀引きした一般的なクリアミラーで90%ほどとされる。
従って、合わせ鏡を作った場合、最初の1反射の時点で90%の光量になり、その向かい側の像は81%の光量となる。
これを繰り返し、10%を切るのは2枚合計で22回目、0.1%を切るのは66回目となる。
単純比較は難しいが、照度で表すなら、夜の街灯の下が100ルクスで、その0.1%に相当する0.1ルクスは月明かりより暗い。つまり、肉眼で見える範囲の鏡像は、容易にカウント可能な程度の反射数であって、「無数の反射で歪みきった深淵の先」というイメージとはほど遠い。
また、合わせ鏡に生じる物理現象は、光が反射を繰り返しているだけで、鏡の「奥」は存在しない。
つまり、ボールが壁に跳ね返っているのと変わらない。
誰が『PONG』の画面外に興味を持つだろうか。
合わせ鏡に集まるオカルト認識
だが、合わせ鏡は、その科学的実態に反して人の興味を惹きすぎた。それがイメージを生み、そのイメージが更に多くの人を引き付ける。
正に、合わせ鏡の中に、多数の鏡像が現れるのと同様だ。
世界にオカルトが実在すると仮定した時、人のイメージは、言霊やサイキックに類する力を呼び起こし、大なり小なり物理に影響し得るものと考えるべきだ。
当然、人の興味や想像が極度に集中する合わせ鏡は、力を持たなければ理屈に合わない。
子供の頃、母親の三面鏡台を開いて、合わせ鏡を楽しんだ経験を持つ人は、決して少なくはなかろう。
問題は、合わせ鏡に向けられた、エネルギーの方向性である。
ネガティブに向くなら、都市伝説に語られるような、極めて危険な現象を引き起こすものになりかねない。
ならば、合わせ鏡は全力で禁じなければならない禁忌行為、という事になる。

合わせ鏡は避けるべきか?
合わせ鏡に向くエネルギーは、ネガティブとポジティブ、どちらが強いだろうか。
私は、ポジティブと推測する。
合わせ鏡に限らず、鏡に集中、増幅されるエネルギーはポジティブなものの筈だ。
思い悩む時に鏡に向かい自問するといった印象がある。だが、人はそれよりも遥かに多くの回数、ポジティブな感情で鏡に向き合っているのだ。
「顔立ちが整っている人ならそうかも知れないが」と思うだろうか。
そうでもない。
毎朝、身だしなみで鏡を見る時、人は無意識に「良く見える角度」になる。
そして「まあまあイケてるな」と考える。
そのイメージでいたところ、他人からの評価はイマイチというオチが付くものだが、それはともかく。
これが、鏡に対するポジティブな感情に繋がる。
これは簡単な数学だ。
中央値よりも「イケメン」寄りの人については、鏡の前で「イケてる」と自覚する。
鏡の前補正があるため、中央値より少し容姿が下の人でも「イケてる」と認識できる。
だとすれば、鏡に対するポジティブな印象を持つ人数は、常にネガティブな印象を持つ人数を上回る。
そして、この日常的な鏡に対面する機会は日課だ。悩みを持って鏡を覗いたり、何らかの嬉しさを伴って鏡を見る回数より、遥かに多い。
つまり、ポジティブな感情が多数派、という事になるだろう。
これが意味するところは、鏡にはそもそもポジティブな感情が宿るため、合わせ鏡が増幅力を持っていたとしても、ネガティブ方向には進まない、という事である。
その上でもし、合わせ鏡によってネガティブな現象が起きる場合があるとすれば。
それを覗くあなたの心が強すぎるネガティブ感情に満たされているというだけで、合わせ鏡はあまり関係がない。単体の鏡で充分危うい。
従って、都市伝説で語られるような、偶然のタイミングで見たからと言って、怖がる事はない。
ネガティブな事に期待しているなら、まずは自分のネガティブをかなり強烈に高める必要がある、という事になろう。
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