群馬県沼田市は歴史の中で真田氏が治めていた時期がながく、痕跡が多く残る真田ゆかりの地であるのは間違いがございません。しかし、平成28年度に放送されたNHKの大河ドラマ「真田丸」の影響とはいえ沼田市の代名詞になっていることに違和感を覚えます。
沼田の歴史と「上毛かるた」が語ること
群馬県民では誰でも知っている「上毛かるた」というものがあり、「て」の札に「天下の義人 茂左衛門(もざえもん)」となっています。これだけしか書かれていないので、茂左衛門がなぜ天下の義人なのか解らないでしょう。
この札が書かれた原因は、真田信利は沼田4代目当主となった事から始まりますが、それは当主は本人が望んだものではありません。真田本家の松代藩を継ぎたかったのですが、相続争いの果の結果。
そして幕府は遺恨を残さぬように松代藩の沼田領を分離独立させ、藩に格上げして治めさせる策を講じたのです。
信利は納得いきません。贅沢を好む性格だったのと、本来、継ぎたかった真田本家の松代藩に対抗する為に領民に重税を課し、厳しい取り立てに多くの餓死が出てしまったのでした。
そこで立ち上がったのが沼田出身の農民、茂左衛門。
当時は死罪だった幕府への直訴を決死の覚悟で決断し、頭を使って工夫しどうにか直訴に成功します。
結果、信利は改易、領民は助かるのですが、茂左衛門は妻子ともども処刑されてしまいました。
後の話では沼田の領民の嘆願で、処刑の赦免状を持った使者が間に合わず、途中で処刑を知って引き換えしたと言われていますが、当時の為政者の考えかたするとわざとそうしたのかもしれません。
天下の義人 茂左衛門
群馬県民として大河ドラマの流れに乗って真田家を持ち上げるよりは、茂左衛門の命懸けの直訴をもっと沢山の人に知って欲しいと感じます。私の家は農家でもあるので、もし茂左衛門がいなければ存在しないかもしれませんし、今の沼田がどうなっていたかを想像ができません。
しっかりと「天下の義人 茂左衛門」の伝承を伝えるべきです。
※画像はイメージです。
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