MENU

戦艦武蔵はなぜ地味なのか?

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。
  • URLをコピーしました!

戦艦武蔵は、大和型戦艦の2番艦なのに、なぜ大和ほどの存在になれないのか?

目次

戦艦武蔵とは?

戦艦武蔵は、大和型戦艦2番艦として昭和17年8月5日に竣工、第一艦隊第一戦隊に編入され、昭和18年2月11日に連合艦隊旗艦。
戦局は、悪化の一途を辿っていましたが、海戦の主役は既に航空機に移っており、武蔵が実戦に参加することはありませんでした。

実質的な初陣となった昭和19年6月のマリアナ沖海戦は、航空戦に終始し、武蔵に活躍の馬はありません。そして昭和19年10年24日に、シブヤン海でアメリカ空母艦載機の波状攻撃により沈没、猪口艦長を始め1000人以上の将兵が艦と運命を共にしました。

地味な戦艦武蔵

1番艦の戦艦大和は、映画「連合艦隊」や「男たちの大和」やアニメ「宇宙戦艦ヤマト」シリーズ等の舞台として、準主役に位置づけられ、国民的に名を知られています。しかし、武蔵は吉村昭さんの「戦艦武蔵」で文章化されたものの、武蔵を舞台にした映画やアニメは作られておらず、今のところ、作られる予定はありません。
大和に比べると武蔵は地味な存在になっています。

武蔵が地味な原因に関する考察

ここから、さらに武蔵が大和よりも地味な原因について考察していきます。

艦名が地味

大和は、現在の奈良県を表すだけではなく、日本を象徴する言葉です。初めて日本の中心部を支配した政権が大和政権、日本古来の言葉が大和言葉(和語)、漢詩に対する日本古来の歌がやまと歌(和歌)、古事記のヒーローがヤマトタケルノミコト、このように、大和という言葉は日本という国を象徴する言葉です。

その言葉を背負った戦艦大和は、ただの戦艦ではなく、日本の運命を託された特別なフネという響きがあります。一方の武蔵は、日本の首都である東京の旧国名です。日本にとって重要な土地でありますが、そのような特別な響きはありません。この違いが武蔵を地味にした一因ではないでしょうか。

連合艦隊旗艦になったタイミングが悪い

武蔵が連合艦隊旗艦になった昭和18年は2月に日本軍がガダルカナル島から撤退し、4月には山本五十六連合艦隊司令長官が戦死しました。
緒戦の戦果が華々しかったときに旗艦だった大和と戦局が傾いてから旗艦になった武蔵、旗艦になったタイミングも両艦の知名度の差につながっているのでしょう。

戦歴が地味

大和は、ミッドウェー海戦に参加しており、レイテ沖海戦が初陣ではありませんでした。さらに武蔵が沈んだ翌日にはサマール沖で米艦隊と交戦しており、主砲46センチ砲を空母に命中させています。(諸説あり)
敵艦との砲戦を実現できた大和と砲戦をしないまま没んでしまった武蔵、この違いも両艦の知名度の違いに継ったのではないでしょうか。

まとめ

このように、勝手に考察してみました。
やがて映画「戦艦武蔵」やアニメ「宇宙戦艦ムサシ」が作られるかもしれません。
その時は、必ず見に行きたいと思います。

featured image:Naval History & Heritage Command, Public domain, via Wikimedia Commons

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

思った事を何でも!ネガティブOK!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次