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神武以前にヤマトを統一した饒速日命(ニギハヤヒノミコト

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日本の始まりは、神武天皇が東征をして先住する長髄彦(ナガスネヒコ)や饒速日(ニギハヤヒ)の防衛に敗れながらも、八咫烏の導きにより勝利して当時の中心地である奈良から九州までの広域を支配したことで日本としたことが記紀にある。
しかし、記紀での記載はごくわずかであるが、他の文献に神武以前に日本に降り立った神がいた。
それが、饒速日である。
そのニギハヤヒが、なぜに、記紀ではある意味ぞんざいに扱われ、また、その栄光がなきものとなっているのだろうか?

目次

ニギハヤヒミコトとは

そもそも饒速日命とは、どんな神だったのか。
ニギハヤヒミコトは、飛鳥時代にまで国の根幹を守っている物部氏の血筋になる神である。
古事記には、イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコに神武軍が敗れた後、イワレビコが天照大神の子孫であることを知り、イワレビコのもとに下ったと記されているのみである。
つまりは、敗者として、ナガスネヒコを葬った人物として描かれている。

塩土翁という神がイワレビコに、「当方に美国があるから、そこに国を作ったら良い。以前にニギハヤヒという神が降り立ったと聞く』と、事前情報を渡している。
そのことから、ニギハヤヒが先に国を造っており、それを奪うように讒言しているともいえるのだ。

ニギハヤヒミコトがヤマトに入れた理由

ニギハヤヒについては、古事記以外に『先代旧事本紀』に記されており、ニギハヤヒ以外にも、多くの名を名乗っているとある。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアマノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)・天火明命(アマノホアカリノミコト)という名だ。

神武天皇が軍事力でヤマトを征する様子がわかるが、ニギハヤヒについては、やや違う。
ニギハヤヒが東に向けていくところに立ちはだかるのは、その地域にいる豪族である。
先住していたナガスネヒコと対峙するどころか、娘を娶っている。
なお、その子供に、宇摩志麻遅命(ウマシマジ)をもうけていることから、王の座を得たのはナガスネヒコ側に婿入りしたか同調王権を確立していたことがわかる。

ニギハヤヒの東遷

ニギハヤヒは、東へ向けて軍を向けたわけでないとしたら、なんだったのか。
それは、先代旧事本紀のニギハヤヒ連れて行った、お供についてを見るとわかる。

そのお供たちは、将兵となるものだけではなく、あらゆる物づくりの神たちを連れて東へと移動しているのだ。
これを東征と言わず、東遷としている理由だ。
古代日本は国を統治するのは、祭祀王が上であるとした説もある。
つまりは、ナガスネヒコが統治していた出雲系豪族がいわゆる祭祀を司どっているというならば、ニギハヤヒは国を政治的に治めたということになる立場で婿入りしたともいえる。

本当の天照大御神

ニギハヤヒの名前に、多くの呼び名があるのは先に説明した。
その中でも、目につくのが、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアマノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)だろう。
この中に、『天照』・『国照』・『天火明』など、神々しい名が連なる長い名前となっている。
この名を示すのは、本名というよりも、王の称号として付けられたといっても良いだろう。
つまり、ニギハヤヒこそ、最初にヤマトを支配した王であり、王の名がアマテラスであったかもしれない、と、私は考える。

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