古くは『喰霊-零-』、最近では『ブレイバーン』を彷彿とさせる1話詐欺アニメ『Turkey!』を何話か流し観した。
劇中、タイムスリップらしき現象が起きた際、「歴史を変えないように注意しよう」という感じの発言があった。
さて、これは正しいタイムスリッパーの行動なのだろうか。
例えば戦国時代にタイムスリップし、自分の大使館仕込みの料理スキルで織田信長の信頼を得たとして、本能寺の件を伝えて命を永らえさせるのは、いけない事なのだろうか?
過去に行ける世界
現在判明している科学で考えると、タイムスリップで過去に行く事は不可能である。
何故ならタイムパラドックスが生じるからだ。
稀に勘違いする人がいるが、タイムパラドックスとは、過去に行ったと仮定した際に生じる矛盾を指摘し、「行けない事を証明する」ための例え話で、実際に過去に行った時に生じる不思議現象を意味するものではない。
従って、「タイムスリップで過去に行ったら」という仮定は既にオカルト、ファンタジーの領域である。
無論、これは未来永劫「科学ではない」というレッテルを貼る訳ではなく、一時的にオカルトという箱の中に入れているに過ぎない。
オカルトは未知を既知にし、科学は既知で覆い隠した中にある未知を、丁寧にほぐして明らかにしていく。
何も対立するものではない。
従って、ここでは過去に戻るという現象が、未知なるパワーで既に発生した状況について考える。
気が付いたら戦国時代の戦場にいた。
山を見ると、先ほどいた地元の山の形と同じ。
「過去に戻っている!?」
そこからについて考えよう。
時間旅行のタイプ分け
最も現実的にあり得る状況は、時間など戻っておらず、過去っぽい作り物の中や平行世界にいる事だが、それは「過去に戻る」という前提と異なるので排除する。
純粋に、今現在の世界に連なっていた過去に辿り付いたという状況だ。
介入不能(運命世界)
最初は、既にあなたのタイムスリップも歴史に折り込まれているというパターンを考えよう。
これは非常につまらない結果にしかならない。
織田信長に明智光秀の謀反を伝えようとしても、偶然や必然が組み合わさり、絶対にできない。
先祖を殺そうとしても、やっぱり偶然や必然が組み合わさってできない。
持ち込んだ現代技術を戦国時代の技術者に伝えようとしても、やはり何だかんだでなかった事になってしまう。
あなたは、夏休みのアニメ再放送でも眺めている気分で、見知った歴史的事実が再現されていく様を、ぼんやり眺めるしかない。
当然、「歴史を変えないために気を付けよう」と考える必要は一切ない。
介入不能(歴史の修正力)
運命世界と同様、結果として同じ未来になるが、「歴史の修正力」が働くパターンもある。
映画『戦国自衛隊』で触れていた方式である。
この場合、信長を本能寺から生き残らせる事は可能だが、結局別の理由で死に、秀吉の天下に移り変わっていく。
それを回避しても、家康の時代は訪れ、乗り越えても、大政奉還はやはり訪れる。
そして、度が過ぎた介入を続けるうちに、あなた自身に修正力が及び、排除される可能性が高まる。暗殺なり病死なり、避けがたい何かだ。
結果として、あなたが介入したとしても、あなたが生まれる時代の状況は、前と全く変わらない。歴史的人物の名前が、少しだけ変わる程度だ。
最低限、あなたの誕生を妨げるような大きな事は起こらない。
歴史の修正力という表現でそれっぽく言っているようだが、これはつまり、神のような存在が「本来の歴史の流れ」を管理している世界だ。
神の意思に背けば、手痛い目に遭う。それだけだ。
この世界の場合、あなたは神に目を付けられない程度に「歴史を変えないよう気を付ける」必要はある。
ただ、神が管理しているので、余程の無茶をしない限り大丈夫だ。バタフライエフェクトまでは気にしなくて良い。
介入可能(世界分岐型)
次に、あなたの行動によって、大幅に未来が変化する世界の場合。
あなたのあらゆる発言が未来を変え、信長も生き残らせられる。
もちろん、実は逃げ延びて暗躍していた、というようなつじつま合わせではなく、信長が光秀を出し抜き、表の姿のまま日本統一を成し遂げる。
その歴史はあなたの記憶の中にはない。つまり、世界が新たに分岐して進んでいる状態だ。
『シュタインズゲート』がこのタイプに近いが、あれは多少の差なら元の世界に戻れるので、そこまで細々分岐している訳ではない。
神が修正している、「歴史の修正力」型とのハイブリッドと言った方が良い。
純粋な世界分岐型は「あなたが過去に戻った」というその1点の変化で、新たな世界が発生するため、元の世界に戻す事はできない。バタフライエフェクトがバリバリに作用する。
この世界の場合、歴史を変えないようにと頑張る事に意味はない。
ここは既に、あなたの過去とは違う世界なのだから。
介入可能(因果律型)
最後が、介入して自分も消せてしまう方式である。
有名どころでは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の描写がそれだ。
作中、マーティが自分の母親に恋されて(父親との仲が深まらず)消えかける描写がある。
ひとつまみでも思考力がある人にとって、失笑を禁じ得ない表現だが、そういう世界というなら仕方が無い。
時系列的にはどう考えてもおかしいが、因果律が時間を凌駕する世界なら、あり得なくはない。
つまり、マーティが生まれた・タイムスリップした・母を寝取ったという因によって
- マーティーの母の生む子はマーティーではない
- マーティーは生まれていないから、いなくなる
という果に辿り付く。
これも、神が管理している世界というべきだろう。
時間と因果に矛盾が生じた場合、神が気に入らない方をなかった事にしてくれる。何故そんな事が出来るのか? 全能の神だからだ。
この世界の場合、歴史介入は最も深刻な事態をもたらす。
瞬間的に自分が消える可能性を秘めているからだ。
過去の自分と対峙し、怪我を負わせれば、当然、自分の身体に古傷を作る事すら可能だ。
冒頭のボウリングアニメのキャラクタが恐れたのは、正しくこの因果律型の世界をイメージしていたからだろう。

タイムスリッパーの心得
4つのパターンの中で、歴史が変わらない事を重視しなければならないのは、歴史の修正力・因果律型の2つという事になる。
「歴史の修正力」型は、歴史から排除される際に、惨殺される可能性が高まる。
「因果律」型は、直接いきなり自分が消える可能性がある。
だが、他の2つの世界観と認識したとして、本当に好き勝手歴史を変えようとして良いのだろうか?
本能寺に行き、面識もないのに信長に面会しようとして、現代知識も上手く伝わらず、手痛い目に遭ったりはしないだろうか。
親殺しに成功しても、逮捕されたらどう感じるだろうか。
考えなければならない。
歴史がどうであろうが、あなたはその世界の今を生きている。
今を悔いなく生きる方がずっと快く、後悔の無い人生を歩めるのではなかろうか。
信長と面識ができ、親しみを感じ、どうしても救いたいと思った時、自然に助けたいという気持ちが起きる、そこが大事だろう。
信長を助けたという経験は、あなたの誇りになりQOLを高める。
そしてもし仮に、あなたこそが未来からこの時代にやって来たという自覚を持つタイムスリッパーなら。
「歴史を変えねば」と躍起になるより、まずは良き現代人として暮らす、これがなかなか重要な事だろう。
※画像はイメージです。


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