史上最大の作戦と呼ばれたノルマンディー上陸作戦
この戦いで総指揮を執った連合国軍とドイツ軍の将軍を紹介します。
ドワイド・アイゼンハワー大将
ヨーロッパにおける連合国軍の総司令官はアメリカ陸軍のドワイド・アイゼンハワー大将です。
アメリカが大戦に参戦するとアイゼンハワーはマーシャル陸軍参謀総長によって、対ドイツ作戦計画の立案を命じられます。
アイゼンハワーは以前、第1次大戦のヨーロッパを研究した事でヨーロッパの鉄道や道路・地形に詳しくなり、陸軍次官補になると軍需品の生産と輸送について担当していました。
まさにヨーロッパへ遠征軍を送る司令官に最適な人物としてアイゼンハワーは選ばれたのです。
ノルマンディー上陸作戦でアイゼンハワーは作戦準備を進め、作戦実行を命じる立場にありました。
気象条件で好条件なのは6月の5日・6日・7日の3日間だけ。
しかし、5日は悪天候で中止となる。
ここで中止を決めると次の機会は2週間後または4週間後になる。
6月5日夜に気象の情報で6日朝に天気が一時的に回復すると報告が入る。
長時間ではないが天候は良くなる。
アイゼンハワーは深夜まで検討の会議を続けた上で「行こう」と実行を決断しました。
この決断が第二次世界大戦の戦局を動かしたのです。
ルントシュテットとロンメル
ノルマンディー上陸作戦を迎え撃つドイツ軍の司令官は西方総軍のゲルト・フォン・ルントシュテット元帥とB軍集団の司令官エルヴィン・ロンメル元帥です。
ルントシュテットは第2次大戦ではポーランドやフランス・ソ連で将軍として実戦を指揮
西方総軍司令官に就任すると、1943年の連合国軍のディエップ上陸を撃退しました。
ロンメルはフランス侵攻では第7装甲師団を率いて迅速な進撃
北アフリカ戦線ではトブルク攻略などロンメルは将軍としての名声を高めた。
ドイツ軍は連合国軍がフランスなどの沿岸に上陸するのを防ぐ為に「大西洋の壁」と称した要塞や陣地を幾つも建設した。
ロンメルはそれでも足りないと、海岸に地雷を大量に埋め、更に「ロンメルのアスパラガス」と呼ばれた大量の杭や鉄骨を打ち込む。
しかし、ロンメルとルントシュテットは装甲師団の使い方で意見が対立
ロンメルは装甲師団を海岸に配置して、上陸したばかりの敵を叩く。
ルントシュテットは内陸に配置して艦砲射撃や爆撃を避けてから反撃に使う。
結局はヒトラーによって6個装甲師団の内、3個をロンメルの指揮下に、残る3個をヒトラーの許可で動くようにされました。
しかし、結局は悪天候で安心したロンメルは本国へ行った為に連合国軍が上陸した時には不在
制空権なき前線で部隊の動きがままらなず、ルントシュテットの指揮も振るわない。
ドイツ軍の総指揮官がその能力を生かせないまま連合国軍はノルマンディーに上陸してしまったのです。
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