「濡女」そして「牛鬼」と呼ばれる妖怪をご存知だろうか?
この二体は本来、独立した存在として個別の伝承があり、語り継がれてきたものなのだが、地方によっては人間を惑わし食い殺す為に協力し合うとも言われている。
この世ならざる者ども、妖怪や怪異と遭遇し、襲われたという話は古今東西、数多く残されている。
しかし天狗や河童、鬼など群れで出現するものは別として、同時に複数の怪異と遭遇したというケースは少ないのではないだろう。
言うまでもないことだが妖怪の類は、たとえ単体であろうと我々人間にとっては大きな脅威である。
それが複数、しかも悪知恵を絞って危害を加えようとして来るのだからたまったものではない。
と言うわけで、濡女と牛鬼が同時に現れる事について解説を行っていく。
濡女
まずは濡女について解説していこう。
濡女(ぬれおんな)は、磯女(いそおんな)とも呼ばれる、海や川に出現するとされる妖怪だ。
水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」などにも、たびたび登場している影響もあって、妖怪としてはかなりメジャーな存在だろう。
その名前の通り、常に髪の毛をグッショリと濡らした妖艶な女だが、腰から下は全長327メートルにも渡る巨大な蛇体だという。
江戸時代の妖怪画集「百怪図解」や「画図百鬼夜行」などでは蛇女としての濡女が描かれている。
当時の古典資料からはそのデザインの原典などは確認されていないそうだ。つまり、石燕やその他の絵師たちの独自解釈である可能性が高い。
また、明治時代の浮世絵師 河鍋暁斎は絵巻物「暁斎漫画」の中で薄気味の悪い蓬髪、目と鼻がなく、乱杭歯だらけの口を大きく開いた怨霊じみた姿の化け物を「ぬれ女」としている。
以上のことから濡女の伝承には、海や水辺に出現し常に髪が濡れている、海蛇の化身であり人を喰らう、遭遇した者は決して逃げ延びることが出来ない、と言った共通点があるものの、その形状は一様ではなかったことが窺い知れる。

牛鬼
続いて解説するのは、主に海岸に現れ浜辺を歩く人間を襲うとされる妖怪 牛鬼についてだ。
日本全国各地に多くの伝承が残されており、一部では悪霊の類を祓う、神の化身としての存在もある。だが、大抵は血に飢えていて、毒を吐いて人間を病に侵し、突然出現してはその場に居合わせた人々を貪り食う、凶悪な性格だと伝えている。
その姿は伝承によってまちまちで、頭が牛で胴体が鬼と言う地獄の牛頭鬼を彷彿とさせるものや、背中に昆虫のような羽根が生えており、天界から飛来したとする珍しい個体の話もある。
やはり一番有名なのは、牛の頭部と蜘蛛のような胴体を持った牛鬼だろう。
実におぞましい姿だが元々は江戸時代の画家 佐脇嵩之の絵巻物「百怪図鑑」に描かれたもので、水木しげる氏の作品でも牛鬼はこの姿で登場し、非常にインパクトの強いキャラクターとして描かれている。
ゲゲゲの鬼太郎で描かれた牛鬼の正体は、悪意に満ちたある種の霊的エネルギーであり、人間に憑依して怪物(牛鬼)に変え、それを退治した相手にまた憑依するという感染系の怪異である。鬼太郎さえ憑依され、牛鬼と変貌してしまうと言う無残なストーリー展開は人々にトラウマを植え付けたに違いない。
もっともこれはオリジナル設定であり、各地に残された伝承にはそう言った描写はみられない。水木しげる氏がいわゆる祟り神として、牛鬼の恐ろしい性格をよく理解した上での表現だったと思われる。
また、日本各地には「牛鬼淵」とか「牛鬼滝」など、牛鬼の名を冠する地名が多く残っている。
例えば和歌山県西牟婁郡の牛鬼淵は淵底が海底に通じていて、淵の水が濁ると牛鬼が這い上がって来る前触れだといわれているらしい。
この牛鬼は猫のような体と約3.3メートルもの長い尻尾を持ち、足音を立てずに忍び寄り、遭遇した者を病に陥れたという。
その際、「石は流れ、木の葉は沈み、牛は嘶き、馬は吠える」と唱えると命が助かるとされる。
牛鬼そのものルーツと思しき伝承として以下のような話がある。
第14代天皇・仲哀天皇の皇后で、天皇崩御の後、日本初の摂政となった神功皇后。
彼女が天命に従い三韓征伐の最中、八つの頭を持つ巨大な牛の怪物・塵輪鬼に襲われ、弓矢を放って撃退したところ、怪物は頭と胴、尻尾とバラバラになり、それぞれが牛窓にある黄島、前島、青島へと変化した。
しかし、怪物は死にきれず、神功皇后が新羅から帰途に就いた際、再び実体を得て襲撃を仕掛けた。
それこそが牛鬼だった、まさに荒ぶる神、祟り神というわけだ。

濡女と牛鬼
濡女と牛鬼、伝承によっては違いはあるものの、両者ともに人間にとって大変な脅威であることは間違いない。
どちらも出会ってしまえば基本、死亡確定である。
近年、人里に迷い出た熊が人畜に危害をくわえたという事件が話題になることが多いが、濡女も牛鬼も熊以上に狡猾で凶悪なのだ。
できれば生涯、出会いたくないと思うのが人情だろう。
最悪の場合でも遭遇するのは、どちらか片方だけがいい。
しかし、残念なことに、この二つの怪異が同時に出現するという伝承が残されている。
人が海辺の道を歩いているとビショヌレの女、つまり濡女が赤ん坊を抱いて現れ、その子をしばらくの間、預かるよう懇願してくる。人が赤ん坊を受け取って抱くのを見届けると濡女は海へと飛び込み、入れ替わるように牛鬼が海から這い上がって来る。
赤ん坊を預かった人は驚いて逃げ出そうとするが、赤ん坊はいつの間にか重たい石に変わった上、身体にひっつき身動きが取れない。
そのため、その人は逃げることも叶わず、牛鬼に食い殺されてしまうのだ。
以上が島根県石見地方でいうところの濡女と牛鬼の伝承である。
この話に登場する濡女の行動は、別の妖怪「うぶめ」を彷彿とさせる。
うぶめは血の池地獄に落ちた女の亡者であり、地獄で産み落としてしまった我が子だけでも現世に還してやりたいという切実な親心がある(と言われている)のに対して、濡女のそれは狡猾な獣の罠である。
他人への善意からしたことへの報いが、牛鬼のような化け物に捕食されることとあってはやりきれない。
許し難い悪行、といえるだろう。
2つの妖怪の関係
それにしても、濡女と牛鬼は一体、どんな関係性なのだろうか?
伝承によれば濡女は牛鬼の使い魔、もしくは実は同一の存在。つまり、海に潜む恐ろしいナニカが、女と怪物の姿を使い分けているとも言われる。
たとえば、両者が実は親子である可能性はないだろうか?
何らかの事情で赤ん坊は牛鬼、つまり人しか喰えない身の上の化け物へと堕落し、母親は濡女となって我が子を養うため餌である人間を供給し続けるというわけだ。
もし、この仮説が事実であれば、濡女と牛鬼にとって悪事を働き続けなければならない現世こそ、地獄なのかもしれない。そう考えればあまりにも救いのない、哀れな妖怪たちであるともいえる。
総論
というわけで、今回は濡女と牛鬼、二つの怪異について考察を行ってきた。
どちらも日本妖怪のなかではメジャーな存在であり、漫画やアニメの影響で人気のキャラクターと言っても差し支えない。
独特なデザインに加え、想像力を刺激する数多くの伝承が残っていることも、知名度を向上させる一因だろう。
今後も濡女と牛鬼は、妖怪界隈の名コンビとして猛威をふるい続けるに違いない。
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