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戦争に行く年齢ではなかった祖父母の沖縄戦の話

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この話は、私が高校生の頃に学校の課題の一環として祖父母に戦争体験を聞くという事でお願いして話してもらいました。
お願いした時に、少し躊躇っていた祖父母を思い出します。

祖父母は私の年齢からすると若い部類に入り、私との年の差は干支で4周もありません。
その為、祖父母は戦時中は今でいう小学校高学年から中学生の年齢でした。

目次

疎開先の話

祖父は宮崎に疎開をしていたと言っており、生前は宮崎の疎開先の方々と度々お会いしていました。

疎開先での話ですが
「当時は、食べ物が不足していた。だからいつもお腹が空いてたんだよ。意地悪して食べ物を貰えない訳じゃない事はわかってたから、馬のエサとして馬が食べている野菜を、馬の気を逸らして盗んで食べてたんだ。」
中学生と言ったら育ちざかりの時期で食欲は凄いのに、満足に食べられないのは辛かったと思います。

馬の気を逸らす方法が気になったので聞いてみました。
「馬の気を逸らすのは、突然馬の前で手を叩くと馬が驚いて顔を背けるから、その一瞬の隙をつくんだよ。」
と、その部分だけは楽しそうに話してくれました。

祖父の祖母の話

場所は沖縄に戻ります。
第二次世界大戦で沖縄戦が激しくなってきた頃、家には勿論いられません。
防空壕も米軍の攻撃で次々と使えなくなっていきます。空襲を受けながら別の防空壕に移動している最中、足の悪い祖母が座り込みました。

家族で
「おばぁ!頑張って立って歩こう!」と話しかけましたが、祖父の祖母は
「足の悪い私がいると足手まといになる。私はココで待っているから、みんな逃げて戦争が終わったら生きて迎えに来て。」
と言われ、泣く泣く置いていったそうです。

祖父の母の話

防空壕の中での話です。
「『鬼畜米兵』と言われていたけど日本軍も怖かった。防空壕で赤ちゃんが泣いたら刺し殺したり、銃殺していた。じいちゃんの弟がまだ小さかったから防空壕の中で泣いちゃって日本兵に怒られた。でもお腹が空いてるから泣いてるのにご飯をまともに食べられてないから泣いてたから、弟と場所を移動しようとしたんだ。そしたら母親のことを撃ったんだ。」
幸い致命傷にはならなかったので私が小学校低学年まで曾祖母は存命でした。

ですが、撃たれた後に適切な治療を受けられる訳がありません。
曾祖母は、鉄砲の玉がずっと右肩に埋まったままで冬になると痛がっていたそうです。

祖父と祖母の話 まとめ

映画とかで沖縄戦のことをやっているのもあるけど、あんなのは映像に残すには限界がある。
実際はもっと酷かった。
戦争の話は思い出したくもない。

今回は、学校の課題でどうしてもと言うから話した。
絶対に戦争はしちゃダメだ・・・と涙を浮かべながら話してくれました。

普段は笑顔で楽しい話ばかりの祖父が、とても真剣な顔をしていたのが印象的な話です。

※写真はイメージです。

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