1945年1月1日、ドイツ空軍はオランダとベルギーにある連合国軍の飛行場を襲撃する。この襲撃は「ボーデンプラッテ作戦」と称され、これがドイツ空軍最後の大規模作戦となりました。
1944年冬の状況
1944年6月の連合国軍によるノルマンディー上陸作戦でヨーロッパの第二次世界大戦は戦局が大きく動きました。
西部戦線のドイツ軍は連合国軍の進撃でフランスやベルギー・オランダから退きます。
ドイツにとっては東からもソ連軍も攻め続けドイツ本国で地上戦が起きるのは時間の問題になろうとしていた。
そんな状況となった1944年冬、ドイツ空軍は苦しい状況にあった。
前年の1943年の夏に東部戦線でドイツ空軍は空軍全体の保有機数の半数を失う損害を被っていた。
また長い戦争でパイロットの損失も多く、エースパイロットは数を減らし新人や未熟なパイロットが多くなりつつあった。
航空機生産では空襲による工場の被害を受けながらも1944年に大戦中最大の2万6000機以上を達成していましたが、連合国軍とソ連軍に圧倒されている事に変わりなかった。
アルデンヌ上空の戦い
ドイツ空軍で戦闘機部隊のトップである戦闘機総監のアドルフ・ガーランドは戦闘機の大兵力でドイツの工場を爆撃する米英軍の爆撃機部隊に大損害を与えるべきと主張していました。
しかし空軍内では西部戦線で使用する考えが主流になりつつあった。これは1944年12月に実行される「ラインの守り作戦」が準備段階になるとより確定的となりました。
集められた戦力は2460機になり、Bf109やFw190などの単座戦闘機は1770機である。
1944年12月16日に「ラインの守り作戦」を発動し、ドイツ軍はアルデンヌで大攻勢に出ます。この攻勢を空から掩護する事が空軍の目的であったものの、曇りや降雪の悪天候はドイツ軍も連合国軍も出撃は限定的になりましたが戦闘機同士の空中戦は展開された。
このアルデンヌ上空の戦いはドイツ空軍戦闘機部隊に指揮官のパイロットを多く失う痛手を負った。
最後の攻勢「ボーデンプラッテ作戦」
ラインの守り作戦は12月下旬にバストーニュを落とせず、ドイツ軍の進撃が止まった事で勝敗は決した。ドイツ空軍は644機と300人以上のパイロットを失った。
戦力の補充を行った上で1945年1月1日に900機以上の戦闘機でボーデンプラッテ作戦は実行された。この作戦はベルギーとオランダの連合国軍飛行場を襲撃する作戦です。
この作戦で465機の連合国軍機を破壊したが、271機の戦闘機を失い戦死と行方不明のパイロットは22人の指揮官を含む143人の犠牲が出た。
1944年の12月から年明けにかけてドイツ空軍戦闘機部隊は組織としての力を大きく失ったのです。
featured image:United States Army Air Force, Public domain, via Wikimedia Commons
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