戦車の写真を検索で探していると、ブルドーザーに改造された戦車、例えば日本では終戦後にブルドーザーに改造された九八式中戦車の画像とかが検索で出てきたりします。
1944年にニュルンベルクのMAN社で改造されたらしいパンター戦車D型ベースのブルドーザー戦車の画像をみかけましたので、「どうしてこのようなブルドーザー戦車が必要になったのか」とか推測してみたいと思います。
なぜパンターD型を改造したのだろう?と疑問
みつけた画像のキャプションを読んでみると、「1944年にニュルンベルクのMAN社で改造されたらしい(maybeとの記述有り)」だったので、前方左側からの写真(砲塔の前に国防軍のコートを着た将校?がいる)から戦時中のものと推測された様子です。
実際、背景にある建物が空爆?でがれきの山になっているところを見ると、ドイツ本土への空襲、特に都市部への空襲が激化した1944年以降というwebサイトでの筆者の推測もあながち間違っていないように感じます。
しかし、ここで私が思った疑問は「なぜ、パンターD型をブルドーザー戦車に改造したのだろう?」ということでした。
1944年と言えば、東部戦線ではソ連軍によるバクラチオン作戦が成功しドイツ中央軍集団が壊滅的打撃を受けた一方、西部戦線では西側連合軍がノルマンディー上陸作戦を成功させ、カーンからファレーズ辺りで激戦を繰り広げた末に装甲部隊が打撃を受けた時期。
一台でも多くの戦車が前線に必要な時期だったと思うのですが、その戦力となるようなパンターD型の1両をブルドーザーに改造する必要があったのだろうか!?という、その部分がどうしても私自身引っかかりを感じたのでした。
素人考えなら、貴重なパンター系よりも自走砲や突撃砲に車体が流用されたIII号戦車やIV号戦車も数はあったと思います。特にIV号戦車なら様々な派生型(対空戦車、突撃砲、自走砲など)があったので車体も入手しやすかったような気もします。
しかし、パンターの初期型であるD型、画像を見ると砲塔からは主砲が取り外されているが、砲塔自体、元に戻せそうな形状をしているように見える。だが、敵軍のT-34-85やSU-100、M4A1とかと充分に戦える車両をブルドーザーに転用せざるを得ない状況を思うと、結論から言えば、やはり「空襲の激化」が原因なのかも……ということになってしまいます。
がれきが多すぎてどうにもならなかった!?
画像の背景に見えるがれきの山、レンガ造りの建築物が多かった当時のドイツ国内が空襲を受けた結果こうなった訳なのです。ですが、本来なら前線で使用されるべきパンターをブルドーザーに改造してがれきの処理を行わないと、兵器類の生産が追いつかないところまで来ていたのだろうか!?というのが素直な感想です。
ニュルンベルクには戦車生産でも重要な会社の1つ、MAN社があった場所(と私は記憶していますが、違っていたらごめんなさいです)として。生産した戦車などの兵器を輸送するためにも、空襲でその輸送路が遮断されないように前線から戻ってきたパンター戦車を改造したのかな……というのが私の見立てだったりします。
さすがにA型やG型ではなく初期型であるD型を利用していることを思うと、駆動系に難ありだった初期型のD型は前線での使用は難しいと考えたのかもしれないです。
それなりに馬力のあるD型(エンジン自体、ベースとなったエンジンはティーガーI、ティーガーIIと共通)を改造したのも「背に腹はかえられない」という部分が当局にもあったのかもしれないですね。
私も今回初めて見たパンターD型を改造したブルドーザー戦車の画像を見てそんなことを思ったりしたのでした。
featured image:AlfvanBeem, CC0, via Wikimedia Commons
※画像は本文と直接関係しません。


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