プラスチックは、環境問題で真っ先に上げられるものの1つだ(英訳風)。
プラスチックゴミの問題はしばしば語られる。
飲食チェーンはストローを紙製にした事例も記憶に新しい。ポリ袋が有料化されたのも、政治家の点数稼ぎなどではなく、当然に環境に配慮しての事だと思いたい。
マイクロプラスチックは海洋を汚染しており、小動物の喉に詰まる事もあれば、組織に詰まる場合もある。
マーガリンが「食べるプラスチック」と批判された事もあった。
これらから分かる事は、プラスチックが何かしら悪意と共に語られているという事だ。
プラスチックとは
プラスチックは「合成樹脂」の英名である。
語源はギリシャ語にあり、意味としては「形作る事ができる」というような意味である。
当時これが当てはまる素材は、天然樹脂や牛の角、卵などがあった。
つまり「手軽に何かの形を作れる材質」という事だ。卵については、型に入れて温め固めるイメージだ。
狭義のプラスチックは、ずっと時代を下る。石油を本格的に使い始めた時代だ。
石油を原料とするポリマーに、添加剤を加えたものが、狭義のプラスチックである。
発明は1835年、商業ベースに乗ったのは1870年のアメリカ、商標名「セルロイド」である。
ここで考えるべきは、狭義のプラスチックは極めて新しい物質である、という事である。
人が新しい物を受容する時、ハードルが発生する。
有名なところで言えば、ジャガイモだろう。
アメリカ大陸からヨーロッパにもたらされたこの作物は、食べ物として広まるのに時間がかかった。慢性的な食糧不足状態にありながら、である。
「花も咲かずに実をつける不貞の作物」というキリスト教的な考えも、この風潮を助長した。
宗教が絡まない場合を言えば、日本でもトマトの食用としての受容には時間がかかっている。
「柿のようなもの」という先入観を打ち砕く酸味のせいで、忌避された可能性は高い。
プラスチックの印象
プラスチックはどうであるか。
圧倒的に「悪い」と言わざるを得ない。これは「石油から作られる」というこの1点がいけない。
もしプラスチックが澄んだ湧き水や、美しい花を付ける草などから精製されるものであれば、イメージは遥かに良かっただろう。
旨味調味料に「石油を使っている」という噂が広まった後、原料の植物を宣伝に出すようになった。あれでかなりイメージが改善された筈だ。
だが、依然としてプラスチックの材料は石油だ。
黒く、臭い原油を精製して作るものだ。
キリスト教圏において、黒は多くの場合、悪に分類される色である。対する善の色は白である。
だからこそ、彼らは自分達の肌がどちらかといえば「赤」に近いのに「白人」という呼称を使いたがった。
こんな黒い邪悪な物質から出来上がるプラスチックが、善なる物質である「わけがない」。
もちろん、これは単なる先入観、思い込みである。だが、思い込みはしばしば科学的事実をも見誤らせる。
人種別の脳容積を計測したサミュエル・モートンが「外れ値」を計算から除外し、白人優位を「証明」したように、人間はプラスチックを最初から悪と決めつけてはいないか。
箇条書きトリックというヤツで、物事を欠点から見ていけば、案外欠点が揃ってしまうものだ。
比較すべきはプラスチックの代替物なのに、実在しない理想物質と比較し、欠点が「ある」事に驚いてしまう。
「いや、そうではない、そんな迷信は持っていない」大半の人はそう言うだろう。
だが、プラスチックの器を嫌がり、安価な陶器を選ぶ事はないだろうか。
陶器の方こそ産地不明、どんな釉薬を使用しているか分からない、そう考えても良い筈なのに。
「あなたの身体に微細なプラスチックが入っています」と言われた時、それが何をするのかハッキリする前から嫌な気分になってはいないか。
あなたが今日食べたラーメンのLDLの方が、よほど直接的に命を縮めているのに。

悪意の認識の先にある和解
我々は、1歩立ち戻って、プラスチックを悪魔の物質と認めるところから始めるべきではないだろうか。
見えている悪魔は、見えなくなったそれより遥かに御しやすい。
多くのオカルト現象のうち、心理に由来するものは、「この見えない悪魔」の影響であると言い切っても良い。
この性悪説に立った時、それでも我らのためになってくれる「更正したプラスチック」の存在。
それを讃える気持ちを持って初めて、人の文化に真にプラスチックが浸透した事になるだろう。
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