幕府の権威が低下した幕末。京都では攘夷派の過激志士たちが跋扈して治安が極度に悪化していました。
そんな志士たちに恐れられたのが新選組です。
幕末の京の治安
諸国から入洛した尊王攘夷派志士の乱暴狼藉は酷く、京都治安を本来担う京都所司代と京都町奉行だけでは治安維持が不可能になりました。
幕府は新たに京都守護職を設置し、所司代と奉行に加えて新設の京都見回役を傘下に治安回復を図ろうとしました。
しかし効果は十分に現れず、ここに登場するのが新選組です。
新選組はその精強さと容赦のない取り締まりで、過激志士たちから恐れられます。
新選組は近藤勇や土方歳三などその中核が百姓出身です。
武士で構成された幕府組織に比べて、元農民が中心構成員である新選組が何故それほど強かったのでしょうか。
天然理心流
局長・近藤勇は農家出身ではあるものの、天然理心流道場・試衛場(館)の道場主でした。
副長・土方歳三や天才剣士・沖田総司も同道場で天然理心流の使い手です。
紆余曲折があったものの、近藤・土方がトップとなった新選組の剣法はやはり天然理心流が中心となります。
天然理心流とは実戦に即した剣法でした。
例えば、稽古に使う木刀は、一説には通常の木刀の3倍の重さだったと伝わります。
それは鋼の真剣を使う事を想定した稽古だったからです。軽い木刀では真剣を使いこなす為の稽古にはならないのです。
重い木刀による稽古は膂力や足腰、胆力の強化になり、実戦で起こり得る予期できない状況に対応して技を繰り出せる「千変万化臨機応変」の極意を体得する為に必要でした。
沖田総司の得意技、一足踏み込む一瞬の間に三回の突きを繰り出す「無明剣」の奥義も実戦重視のこの稽古によって体得し得るものでした。
天領の誇り
近藤や土方の出身地は武蔵国・多摩郡で、幕府直轄地の天領です。
従って治安維持も幕府の管轄下にありましたが、幕府の威信低下に伴って治安が悪化し、自衛の為の武力保持を目的に、農民の間に天然理心流を学ぶ人が多かったのです。
そして天領に代々続く農民に心の奥底には、自分たちは将軍家直参の百姓だという誇りがありました。
新選組が徳川家の譜代大名や直参旗本を凌ぐ佐幕としての働きを成し得たのは、天然理心流の強さと共に、この誇りが底流にあったからではないでしょうか。
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