我が国での主食である『米』。
その米が日本列島に持ち込まれたのは、昔は弥生時代と言われ、朝鮮半島から伝播したと言われていた。
しかし、現在の研究からはその定説は覆されており、全く違った見方があるという。
日本の米の話は、神話にもあり、それについても大きな謎が残っている。
それはいったいどういったものなのか両側面から考える。
研究からの米のルート
先にも話したが、米の伝播についてはいささか定説は変わっている。
米はすでに日本でも原始時代から野生の稲の種子をまいて収穫していたという説がある。
その後、いわゆる日本の米といわれるジャポニカ米が現れるのは、紀元前10世紀頃の縄文時代末期とあり、その原産地はインドや中国・雲南の山岳地帯で始まったものだと言われ、それが長江流域を遡り日本に渡ってきたという説がある。
朝鮮半島から伝播するには、稲作の北限地より北になりその辺りは畑作や小麦が主体と言われているのだ。
伝播ルートも、朝鮮半島南部から持ち込まれたルート、長江下流から直接北九州の対馬を越えて直接海を渡ってきたルート、台湾を経由し沖縄諸島などの島伝いに南九州に来たルートがあると言われ、最初は九州に伝播することとなったようだ。
国内に稲作が広まり、各地で農地を作り国を形成するようになったのが紀元前5世紀からの弥生時代となる。
神話での米
神社には、米に関する深いつながりある祭りが多く、『新嘗祭』・『大嘗祭』などは収穫の時期に神様へ感謝する日として古来より受け継がれている。
そして、神話に稲(米)が出てくるところは多くある。
初めに出てくるのは古事記ではスサノオ、日本書紀ではツクヨミが食物の神であるウケモチノカミ(古事記ではオオゲツヒメ)に食物を所望した時の話だ。
女神は自分の鼻と口と尻などから、様々な美味なものを取り出し、それを調理し盛りつけて神に出した。
それを、その様子を見たスサノオ(日本書紀ではツクヨミ)は、汚い料理を出したと思ってその女神を殺してしまうという話だ。
その女神から蚕・稲・粟・小豆・麦などが現れ、高天原のタカムスビに献上したというのが米を含む穀物の始まりである。その後、アマテラスとスサノオが誓約を行うシーンの後、スサノオが暴慢となり田圃を荒らす場面があり、神々の時代にすでに稲作が行われていたこととなる。
大国主の時代には、稲作と医学や温泉などを広めてまわって、国を豊かにしたという伝説があり、米には7柱の神が宿るという。
その7柱の神は、大国主の御子と言われ、また、『水・土・風・虫・太陽・雲・作り手』とも言われているのだ。
最後は、ニニギノミコトが天孫降臨する際に、アマテラスが稲穂を持たせて斎庭稲穂の神勅とし、地上に沢山の稲をもたらした、と言う話である。
神話で日本の呼び名を、『みずみずしい稲穂が豊かに実る国』という意味として「豊葦原瑞穂国=とよあしはらのみずほのくに」とよばれている。
このように、稲や米に関する神話での登場は、かなり前から、そして何度も出てくると言えるのだ。
中国と稲作
国の誕生と稲作は密接な関係がある。
古代中国も稲作が集落を作り、村ができ、領土争いといった戦争が生まれ、対立が大きくなり吸収・制圧していった先に国が出来上がっている。
それと同じことが、邪馬台国以前の弥生時代に『大和争乱』ということで日本でもあったことは否めない。
縄文時代後期に稲が大陸から運ばれてきていることから、時代背景を見てみると、殷が周に滅ぼされる時期の後で、諸説あるが殷の公族が宋という国を造り、定住しなかった他の者は東を目指し日本に渡ったという説がある。
諸説あるが、神武天皇が即位した時期は、紀元前660年頃の話で、それよりもだいぶ前であるので、神の系譜が中国経由で入植したというのもあるかもしれない。
伝播経路の一つとしての長江流域の国と言えば、呉と越である。
殷滅亡後に周より諸侯として封じられ、その後しばらく国として各国と争っていた。
紀元前500年代に入ると、越に呉は滅ぼされるのだが、それ以前から呉と越、隣国の楚等が争っており、呉の公族が日本に逃げて来たという説がある。
同じく越は楚に滅亡させられるが、それ以前に航海ルートを確保してその民が日本の高志(=越)を建てたという説もある。
決して日本は、遅れた閉鎖的な国ではなく、各国と交流して高い文化圏を作っていたと言われているのだ。
渡来人のDNA
最近のDNA解析で分かっていることは、渡来系の弥生系遺伝子を多く持つ地域は四国だという。
最古の歴史書『古事記』にあまり出現しない四国だが、四国に関する記述はこうある。
イザナギ・イザナミの夫婦神が日本という国を生む際に、2番目の島として四国を産んだ。
『この島は、身一つにして面四つあり』とあり、伊予(愛媛)の愛比売は『可愛らしい女』・讃岐(香川)の飯依比古は『米をつくる男』といった意味だそうだ。
土佐(高知)の建依別は『雄々しい男』と言う意味らしい。
阿波(徳島)の大宣都比売は『食物を掌どる女神』でスサノオとの場面がある神、オオゲツヒメのことと同じかは触れていないが、わざわざ同じ名の神が重複して描かれていることに別のものとは思えない。
スサノオは徳島で何かしらの接触があり、穀物などの食料もしくは生産技術を得たとも考えられる。
四国は、稲や食物が関わる神が名付けられており、早くから稲作や畑作による食物生産が行われている地域と考えられる。
渡来系のDNAを持つことから考えるに、米の伝播は九州経由を経由し、瀬戸内海を通り四国が渡来系の着地点として定住することが多かったのではないだろうか。
百済系・渡来系と言われるオオヤマツミを祀る神社もあることもしかり、四国も謎の神話や古代歴史を探るうえで重要な場所だと言える。
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