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ドイツ軍V号戦車パンターの戦い

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第二次世界大戦後期のドイツに登場した新型戦車パンター
T-34の影響を受け、それまでのドイツ戦車とは違うサイズの戦車として開発されたパンターはどう戦ったのか?

目次

クルスクのデビュー戦

1942年5月に採用され、1943年1月に最初の量産型が完成したパンター
生産と共に2個大隊のパンター装備部隊も編成され、実戦投入に向けて準備が進められた。

そんなパンターが初陣となったのは1943年7月5日にのチタレデ(城塞)作戦からです。
グロスドイッチュラント装甲擲弾兵師団の指揮下に入ったパンター2個大は南部での戦いに投入された。
しかし、期待の新型戦車の初戦は芳しく無かった。

側面の装甲が40ミリと傾斜装甲とはいえ比較的薄い。これが敵陣地を突破する戦いで弱点になってしまった。
稼働率も日が経つにつれて低下、作戦6日目には10両にまで落ち込んだ。
これは最初のパンター部隊の前線への移動が6月24日からで、7月4日に最後のパンター部隊が前線に到着する慌ただしさのせいでもあります。
新しい戦車に慣れないまま戦闘に投入された為にパンターは問題が出てしまったのです。

認められるパンター

クルスク戦では稼働率や側面防御に関して苦言が呈されてしまったパンター
しかし、正面装甲と75ミリ砲の火力は高い評価がありました。
T-34も重戦車のKVー1も1500mから2000mの距離で撃破できる戦車としてソ連の重装甲・重火力の戦車に正面から立ち向かえる戦車として認められて行きます。

戦い方でもパンターが正面から攻めて、側面はⅣ号戦車が支援する戦術が出来上がった。
1944年2月にはチェルカシィでソ連軍に包囲されている友軍を救出する作戦にティーガー重戦車と共にパンターもべーケ重戦車連隊の中核として先頭に立つまでになりました。

AlfvanBeem, CC0, via Wikimedia Commons

苦闘し力尽き・・・

東部戦線で価値が認められたパンターは他のイタリア戦線や西部戦線にも投入されます。
しかし東部戦線と違い、地形の障害が多く長い射程の砲を生かす戦いがし難い戦場ではあったものの、正面装甲と砲火力の強さを生かせました。
生け垣が縦横に広がるノルマンディーでは、エンルスト・バルクマンSS曹長が指揮するⅠ両のパンターで9両のパンターを撃破する戦果を挙げている。
パンターの性能を引き出せる、熟練した戦車兵による最高の状態による戦いぶりであった。

パンターはD型からA型、更にG型と改良が続けられ、Ⅳ号戦車と並ぶ主力の戦車として各地の戦場を戦い続ける。
T-34も85ミリ砲を装備する新型が登場するものの、パンターは1200mから2000m先で撃破できる戦車として戦線を支えた。
砲塔をを新しくしたF型、88ミリ砲を装備したパンターⅡなどが開発されていましたが、完成前にドイツは降伏してしまいます。
重装甲・重火力になるソ連軍戦車へ対抗できる戦車として、新たな主力となる戦車として戦線を支えた兵器だったと言えるでしょう。

参考資料
決定版図説パンター中戦車パーフェクトバイブル Gakken
ミリタリークラシックスVOL.31 V号戦車パンター イカロス出版

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