渋沢栄一の1万円札は、結婚式のご祝儀には合わないという珍説が、テレビ放映されたらしい。
何でも、性豪である渋沢栄一は、円満な家庭と真逆であるから、縁起が悪くマナー違反であるという。
根拠としてあまりにいい加減なので、似非マナーである事は間違いないが、オカルト的には必ずしもそうとばかりは言えない。
出典はXのジョーク
予め知識は共有しておこう。
この珍説の元ネタは、Xで「レニ」というユーザーが2024年7月2日にポストしたもので、
「クソマナー講師」
の発言として、カギ括弧付きで書かれたものである。
ジョークと明言されていないため、実際の発言と誤解する余地はゼロではないが・・・
- 発言者を「クソマナー講師」としている
※実在する人物の場合、誹謗中傷になるため、炎上リスクが高い - 返信もジョークとして受け取っており、それに対するレニ氏からの訂正はない
- 「ジョークである」との説明がないのは、短文を良しとするXの習慣から考えると自然
- 一般的にジョークは、説明を足さない方が切れ味が良く面白い
- このポスト以前に、同様のマナーを提唱する講師の情報がない
これらの理由から、これは
「こんな下らない事、昨今の『マナー講師』なら言いそうだよね」
という、ジョークとしての書き込みと解釈して間違いない。
だが、当該ポストは本稿執筆時点で現在で488万に達する程の閲覧数となり、その本意も曖昧なまま広まっていった。
挙げ句の果てに、2024年10月3日テレビ朝日『グッド・モーニング』で、「新マナー」として放映された。
元ネタを知る者はネットでツッコミ続けたものの、テレビマンにとって雑音にしか見えなかったのか、特に訂正が入る事もなく、公式ブログにもそのまま掲載されている状況である。
ご祝儀最適選手権、壱万円級
さて、このジョークをテレビ局が「本物のマナー」として扱った理由は、政治的な意図はともかくとして、「一応理屈は通っている」という部分が大きいだろう。
渋沢栄一は、妻妾17人以上の子供がいて、68歳で子供を作り、妻と妾を同居させもしたという。
これらの事実は、子沢山や、それを支える裕福さをイメージさせる一方、確かに浮気や隠し子、妻を蔑ろにする姿勢などを想像させる。
だとすると、1歩戻って福澤諭吉が適しているのだろうか。
福澤諭吉の妻は錦、4男5女をもうけている。
妾や離婚といった話もなく、彼にあやかれば円満な結婚生活となりそうだ。
・・・・・・だが、本当にそうだろうか?
令和の現在、福沢家の夫婦関係が本当に好ましいだろうか。
1人の子であっても、出産も子育も大変であるのに、これが9人だ。「ビッグダディになって人気者だ」「野球チームが作れる」と喜んでもいられない。
経済面も、公立の学校をストレートに進んでも子供1人で2600万円ほどかかる。これに家のサイズ、共働きの困難さなども加わる。
不幸と断ずる訳ではないが、自ら願う夫婦は少数派だろう。
となればもう一つ戻って聖徳太子だろうか。
こちらは、渋沢栄一と同様の問題が発生する。
仏教の聖人で性欲とは無縁のようだが、彼は菟道貝蛸皇女、刀自古郎女、橘大郎女、膳大郎女と4人の后を迎えている。その上、菟道貝蛸皇女に至っては太子の従姉妹で、結婚して間もなく亡くなっている。
縁起が悪いと言えばこれも大概だ。
ご祝儀最適選手権、無差別級
こうなると、もう人の描かれた紙幣を使うのは止めた方が良い。
日本の硬貨の場合、個人の特定出来る人物が彫られたものはないため、丁度良いだろう。
1円は自然数の始まりであり、描かれている「若木」も、新たな家庭によく合っている。
5円は「農水工業」を表すので、よく働き栄える縁起の良いデザインだ。
ただ、産業労働に限られ、家事労働に一切触れていないため、家事専業者が含まれる夫婦には合わない。配当や年金収入、生活保護などで生活している場合も当てはまらず、多様性の時代には今ひとつだ。また「ご縁があるよ」という意味もあるが、こちらも恋愛相手とのご縁なら、浮気推奨でしかない。
10円は「平等院鳳凰堂」。「平等」というと夫婦の良い関係になりそうだが、この建物は「西方極楽浄土」に至る事を願う仏教施設なので、結婚とはあまり食い合わせが良くない。
100円は「八重桜」だ。染井吉野と比べ、散り際がイマイチだが、桜餅みたいなので、虚飾より実が大事な結婚生活には、ある程度向いている。
500円は「桐」、裏面は「竹」「橘」。桐は政府紋章に使われている植物であり、竹と合わせると、善政を意味する瑞獣・鳳凰と意味が繋がる。橘は、常緑のため長寿の縁起物とされ、どちらかというと国家安泰の意味が強めか。
つまり、1円玉こそが最も結婚のご祝儀に向いており、その次が100円玉で概ね間違いなかろう。
こじつけが事実になる時
さて、これらの話は、科学的に言うなら、ただのこじつけに過ぎない。
だが、元々の話が「縁起」「マナー」という、オカルトやお気持ちに足を突っ込んだ話である。
どんな珍説も、繰り返し語られれば、必ずしも見当違いの話ではなくなっていってしまう。
口にしたものは言霊となって力を持つというのは、日本神話系の発想である。
言葉自体が力を持つのだから、当然多少馬鹿げた事でも成立し得る。
何しろ古事記、日本書紀の段階で、「浮気してなかったら、燃える産屋の中でも無事に出産できる」という、明確に科学法則をねじ曲げる現象を、言葉によって発生させている程だ。
皆が「渋沢栄一が駄目」と言い続ければ、きっと呪いの紙幣となって、数多の新婚さんを成田離婚させる事だろう。
これが広がっていくと、オカルトの影響下にない人も、
「相手が気にするかも知れないから」
と、渋沢栄一札を避け、1円玉をご祝儀袋に入れるのだ。
そうなれば、結婚式が重なる20代、30代も怖くない。
呼ぶ方も、ご祝儀を見込んだ豪華な結婚式など考えず、あくまで結婚報告会として、弁当の持ち寄りか、軽食程度で済ませれば良い。
来賓に負担をかけないので、再婚でもバンバンやれる。
終わった後も、ご祝儀の多い少ないや、会費の金額などで苛つく事もない。
ただ、祝いの気持ちとして、1円玉を並べ、来賓に思いを馳せれば良かろう。
この時、1円玉でオブジェなどを作りたくなるが、形を崩してしまうと法律違反になるので、あくまで原型を留めたまま、グルーガンなどで固めるのが良いだろう。
マナーはあなたの中に
これに限らず、マナーと呼ばれるものの幾つかは、宗教儀礼とかなり密接で、オカルティックな要素を含んでいる事も多い。
この時、元がどうであるとか、意味があるとかないとかは、結構どうでも良く、「それを信じている人」という2次ソースに実体が移動しているのだ。
こんな時代に、一体何を信じるべきかと思ってしまうが、「それほど世界はきちんと出来ていない」という辺りが結論になるだろう。
正解は、自分で決めて良いのだ。
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