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派手な姉と地味な飯炊きの妹の幸せ

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この話は私が結婚後、主人のおばあちゃん当時90歳から聞いた、おばあちゃんと姉の話です。

目次

歌で華やかに注目を集める姉に悔しい思いをしたおばあちゃん

主人のおばあちゃんは太平洋戦争中、島根に住んでいて、姉との2人姉妹で、共に美人です。
B29という爆撃機の音を聞くだけで怯え、防空壕に隠れるという日々を過ごしていました。

そんな日々の中、歌を歌うのが上手だった姉は、ステージショーのように丘の上で毎日歌を歌い、特に男性陣の声援を浴び、拍手喝采だったそうです。姉が歌を歌っている間、妹であるおばあちゃんは、家族どころか近所の人の分まで食事を作っていたそうです。

毎日何度も釜をフーっと吹いて火が絶えないようにし、今ほど暑くはない夏ですが、夏は特に大変で、食料も不十分で芋ばかりだったので、芋粥でも毎回工夫して味を変えて料理していました。

この悔しい思いは90になっても忘れないと言っていたのを、今でも覚えています。

地味に飯炊きを続けたおばあちゃんの意外な展開

毎日頑張って食事を作っていたおばあちゃんは、とても料理上手。
美人で料理上手となれば嫁候補に上がりまくりです。

その結果、当時イケメンでエリートと呼ばれる神戸の男性からお声がかかり、19歳の春に神戸に嫁ぐこととなりました。
当時、島根から神戸に移動するだけでも長旅で珍しい事なのに、嫁ぐとは国際結婚のようなものです。

それまで姉に集まっていた注目は、一気に妹のおばあちゃんに向き、姉はとてもうらやましがったそうです。
歌ばかり歌っている姉を妬んでいたおばあちゃんですが、先に幸せをつかんだのはおばあちゃんでした。

おばあちゃんのその後

その時代はお見合いが主流で、おばあちゃんは出会いこそお見合いでありますが、出会ってからは現代の若者と同じ位、ラブラブな恋に落ちました。
それからはご主人となったイケメンエリートさんと幸せな新婚生活を送ったそうです。

戦争が悪化し、ご主人は兵隊にとられてしまいますが、戦争が終わると運よく無事に生きて帰ってきました。

それから世の中が落ち着いた頃には、料理上手を生かして料理教室を開いたりして、ご主人と支えながら暮らしていらそうです。
つらかった飯炊きがその後の人生に良い方向に影響したので、毎日頑張って良かったと言っていました。

※画像はイメージです。

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