空母と戦艦の保有数からわかる方向性。
帝国海軍 軍備補充計画
米国軍備増強計画に対応するため、
帝国海軍は昭和12年度(1937年)補充計画、通称③(まるさん)計画で超ド級戦艦2隻建造を予定した。
大和、武蔵である。
さらに昭和14年度以降の④、⑤計画含めて大和同型艦合計8隻を計画していた。
それは確かに大艦巨砲主義に基づいているものの、同時に航空戦力増強も計られていた。
特に④計画では最重点となっており、大艦巨砲主義と航空主兵論が併存していた。
その後ミッドウェイ海戦の敗北で正規空母8隻のうち4隻を失った帝国海軍は、⑤計画改め、改⑤計画「航空母艦緊急増勢計画」を策定し、以後の大型戦艦建造を見合わせた。
これにより大和、武蔵に続く大和型超ド級戦艦3番艦として建造中の信濃は大型空母に改造された。
太平洋戦争 日米艦艇数(艦種別)
開戦時保有数(隻(構成比%))
| 空母 | 戦艦 | 巡洋艦 | 合計 | |
|---|---|---|---|---|
| 日本 | 9 (15.8) | 10(17.5) | 38(66.7) | 57(100) |
| 米国 | 7(11.5) | 17(27.9) | 37(60.7) | 61(100) |
戦時中 建造または就役
| 空母 | 戦艦 | 巡洋艦 | 合計 | |
|---|---|---|---|---|
| 日本 | 14 (60.9) | 2(8.7) | 7(30.4) | 23(100) |
| 米国 | 102(65.0) | 10(6.3) | 45(28.7) | 157(100) |
開戦時、航空母艦の保有数は日本の方が若干多く、逆に戦艦は米国が圧倒的に多い。
国力差を勘案すると、戦前の帝国海軍の航空戦力重視度合いが窺え、逆に米国海軍の方が大艦巨砲主義に偏っていた事がわかる。
開戦後は、米国は強大な生産力によって大小空母を大量生産しており、航空戦力への急速な移行が分かる。
しかし建造・就役艦種の構成比に注目すると日米にそれほど大きな差はなく、航空戦力に対する重要視の程度は、帝国海軍は米海軍に比べ遜色はないばかりか。
戦艦・巡洋艦の隻数が圧倒的多数の米国海軍に、大艦巨砲主義指向がより残っているように見える。
帝国海軍の大艦巨砲主義
「帝国海軍は大艦巨砲主義から航空主兵への切り替えが遅れ、
真珠湾攻撃での経験から航空主兵にいち早く方向転換した米国海軍に後れを取った」
巷間しばしば伝わる帝国海軍敗戦の一因である。
しかし太平洋戦争における帝国海軍の軍備計画と建艦の実際という資料からは、この論はあり得ない。
米国が航空主兵に急速転換したように見えるのは、戦艦群が全滅し、生き残った空母部隊だけで戦わねばならなかった、米太平洋艦隊の実情に依るものに過ぎない。
以後彼らが航空戦力の有効性を認め、その強大な生産力でそれを急増させたことは確かだが、一方で戦艦群も依然増強している。
これに対し帝国海軍は戦争途中で大和型戦艦の建艦を全て中止し、建艦中の信濃を大型空母に改装している。
国力が乏しい中、戦艦か空母かという二者択一の状況があったはいえ、航空主兵への転換は帝国海軍の方が顕著である。
しかし戦争の勝敗を左右する主因の一つに、航空戦力が史上初めて躍り出た現実を目の当たりにしても、軍艦の砲戦が始まって以来の唯一の戦争観だった大艦巨砲主義が、依然多くの海軍軍人個々を捉えたままだった。
彼らはそう教育され、実際に体験または見聞し、海軍軍人として今ここにいるのだった。
それは日米両海軍共に同様であって、航空戦力増強の足枷となった大艦巨砲主義への拘りが、帝国海軍敗戦の一因という論説は成り立たない。


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