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日本海軍は大戦果の幻を否定しなかった~台湾沖航空戦

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1944年(昭和19年)10月に台湾沖で繰り広げられた台湾沖航空戦
日本海軍は空母10隻を撃沈する大戦果を挙げたと発表してしてしまいます。しかし、それは誤報だったのです。

目次

押し寄せる米機動部隊

太平洋戦争の後半期である1944年(昭和19年)の6月から8月にかけてマリアナ諸島のサイパン島やグアム島・テニアン島を米軍によって攻略された。
マリアナ諸島に次いで攻略目標としていたのがフィリピンでした。

10月20日にレイテ島上陸作戦を予定した米軍は、空母機動部隊で沖縄・台湾・フィリピンを空襲して航空基地や艦船と港湾へ攻撃を仕掛けます。
この作戦にウィリアム・ハルゼー大将率いる第3艦隊が出撃した。その兵力は空母だけでも大型と小型合わせて17隻と強大です。

航空戦力で挑む日本海軍

対する日本海軍は6月のマリアナ沖海戦で空母部隊が大打撃を受け再建中だった。この状況で米艦隊を迎え撃つのは陸上の基地航空隊とされた。
艦隊では戦艦「大和」や「武蔵」など戦艦を中心とした水上部隊が決戦を行うとされたが、襲来する敵と即座に戦うのは基地航空隊だった。
米機動部隊の襲来に備えて編成されていたのが「T攻撃部隊」です。

英語で台風の頭文字のTを冠したこの攻撃部隊は、夜間または悪天候の時に出撃するとされた部隊です。戦闘機は局地戦闘機の「紫電」のみで、一式陸上攻撃機・陸上攻撃機「銀河」・艦上攻撃機「天山」と言った攻撃機を中心に魚雷の装備が可能である陸軍の重爆撃機「飛龍」も加わり、索敵機となる偵察機や飛行艇などを合わせて200機以上の戦力がありました。

誤認の大戦果

ハルゼーの艦隊は10月10日に沖縄本島を空襲し、11日にはフィリピンのルソン島を空襲して作戦を開始する。対して日本海軍はハルゼー艦隊を12日未明から攻撃開始
夜間攻撃を仕掛けたT攻撃部隊は基地に帰還すると戦果を報告し、14日までの出撃で空母7隻を撃沈したとされた。
しかし、実際は空母「フランクリン」に被弾した一式陸攻が衝突して損傷を与え、巡洋艦2隻が大破したのが最大の戦果だった。

この食い違う結果は夜間や薄暮など暗い時間での交戦になった為に、パイロットによる確認が正確ではなかったからです。
司令部は命がけのパイロットの報告を信じ、より上の海軍軍令部は現地の報告にあえて疑問を言わず(疑問を訴える参謀は何人も居たが)戦果は積み上がり、及川軍令部総長が天皇へ報告する時には「轟撃沈空母10隻・戦艦2隻・巡洋艦3隻・軽巡洋艦または駆逐艦1隻・艦種不明1隻」に空母6隻などを撃破したと戦果は大きく膨れ上がった。
台湾沖航空戦の誤報は戦果への期待と、公に戦果を否定できない海軍内の雰囲気で生じました。末期の日本海軍は疑問や否定がし難い組織になっていたと言えます。

featured image: Naval History & Heritage Command, Public domain, via Wikimedia Commons

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