私が小学校低学年の頃です。
県内ですが少々離れた所に住んでいる祖父母の家に、夏休みに泊りに行った時の話です。
大変温厚でとても優しい祖父でしたが、たった一つ正直嫌いなところがありました。
そしてそのことに対して幼い私が発した一言で涙する祖父の姿がいまだに忘れられません。
祖父の恒例の戦争に関する話
祖父母の家に泊まりに行くと、ほかに親族も泊まりに来ていて大変にぎやかなものになり、いとことも会えますし優しい祖父とも一緒に遊べます。
祖父はもともと教員であったためか、かなりの博識でいろんなことを教えてくれました。
そして手先が器用で、いろんなものを作ってくれました。
そして恒例ではあるのですが、必ず自分自身の戦争体験談を話してくれます。
しかしそんな優しい祖父に対して、たったひとつだけそのことに関して嫌いなことがありました。
それはアルバムを取り出して自分で撮影したであろう、いろんな戦艦や戦闘機の自慢をすることです。
祖父の自慢話
必ずと言っていいほど孫たちを呼び寄せ、タンスから古いアルバムを取り出して白黒写真の戦闘機や戦艦の様子を説明するのです。
正直孫全員ほとんどその内容を理解していません。
「○○という戦艦で、○○ノットで巡行して・・・」「○○という戦闘機で、一分間に○○発射撃でき・・・」などなど・・・幼い子供が到底理解できる話ではありません。
その様子を察して母や叔父は「話をするにはまだ早すぎる」と注意するのですが、一切耳を傾けず無理やりでも聞かせようとするのです。
私はこの話が大嫌いで、いくら子供と言えどもあることをずっと考え胸に秘めていました。しかしある時、「みんなで一緒に遊びたい」と幼いいとこが立ち上がろうとしたときです。
「ちゃんと話を聞きなさい!」と注意する祖父についに限界が来てしまいました。
そしてそれまで子供ながらに胸の奥底に秘めていた思いを吐いてしまったのです。
本当に聞きたかった話、そして気づいてほしかった
その祖父に発した言葉は、「よく戦艦とか戦闘機の自慢するけど、これって要は人を殺すための道具でしょう?なんでそんなことを自慢するの?」です。
私はそのころ小学校で大ブームになっていた「はだしのゲン」に大変影響を受けていました。
戦争がどれだけ悲惨な事なのか、どれほどおろかなことか、トラウマを与えてしまうほど強烈に伝わる漫画で、私なりに戦争に関して思うことが増えていったので、それは「こんな戦闘機や戦艦が二度と存在しない世界であるべきだ」と痛感に思っていたのです。
今考えればよくも小さいながらもそんなことを考えたものだと思います。
しかしそれほど私にとっての影響力は大きかったのです。
ですから祖父の自慢話は、私にとってはその気持ちに全く反する戦争歓迎ととられかねない内容だったのです。
祖父が孫たちに伝えるべきことはそんなことではないだろう?もっと伝えるべきことがあるのだろう?第一戦争に行って楽しかったのか?などなど。
孫の一言に涙する祖父
祖父に続けて言いました。
「じいちゃんは自慢するけど、戦争は楽しかったの?怖かったんでしょう?なんでそんな自慢をするの?」と・・・当然母は慌てて私を制止しました。
すると祖父はそっと涙を流しました。そして「そうだね・・・。怖かったよね。」と。
そしてそのあとの記憶はそこで途絶えているのですが、それ以降祖父がアルバムを取り出して自慢話をすることは無くなりりました。
間違いなく私の発した一言が影響したのでしょう。
ある種残酷なことをしたと今は思いますが、それでももっと戦争に対しては伝えてほしいことがあったのは事実です。
じいちゃんの真意
結局祖父はそういったアルバムを通じて何を伝えたかったのか、その真意はいまだに理解できません。
母から聞いたのですが、祖父は戦争で大けがを負って命からがら帰って来たのです。だからこそ兵器の自慢話はまったく理解できなかったのです。
ひどいことをしたのかもしれません。しかし大事なことを伝えたつもりです。
それが祖父にどう伝わったのか・・・今となってはわからないことです。
あの流した涙の意味も・・・。
※画像はイメージです。
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