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鳥居との付き合い方

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最近、道路に由来不明の鳥居があるというニュースを2件ほど目にした。
1つは道路、1つは駐車場の傍らで、いずれも「神社の参道でも境内でもないのに、鳥居だけが立っている」という内容である。

このような鳥居を見つけた時、我々はどう考えれば良いのだろうか。いやそもそも、鳥居について、我々はどれほどの知識を持っているか。知識が思い込みで形成されている事は、決して珍しくない。

改めて鳥居を再確認し、今一度見直す時期だろう。

目次

鳥居は出入り口

鳥居は神域をそうでない場所を隔てる際の、出入り口に据えられるものである。
つまり門と言って良い。

この時、神社の社は必ずしも必須ではなく、「領域」が存在すれば良い。山頂に鳥居だけが設置されている場合などが、これに当てはまる。

逆に神社であっても鳥居を持たないものも存在する。
更に、神仏習合によって、鳥居を持つ仏教寺院もある。

先述の由来不明の鳥居の場合は、現代的な鳥居であったため、神社か寺院の鳥居が、それらの移転によって取り残されたものである可能性が高い。

記事には、「どんなに調べても由来不明だった」という言葉が付いていたが、これはあくまで「自分の取材では答えに辿り付かなかった」という報告に過ぎない。
その程度の根拠で鳥居に「由来不明」というレッテルを貼るのは軽率だ。

ここで「不明」なのは「元の建物が何だったか」という部分であり、鳥居ではない。
まずはそういった当たり前の部分から始めないと、行先は定まらない。
他に、街中で見かける鳥居として、立ち小便避けに、塀の端に小さなものを置いたり描いたりするパターンがある。

こちらは「小便をかけるのは畏れ多い」というイメージで描かれた神社そのものの暗喩で、出入り口の意図はない。

鳥はどこに居る?

「鳥居」は「鳥が居る」と送り仮名が付けられる通り、鳥の「止まり木」が元になったという説が優勢だ。
その鳥は「常世の長鳴鳥」すなわち夜明けを告げて「コケコッコー」と鳴く「ニワトリ」である。

ここでいう夜明けは、永遠に続く可能性があった闇からの夜明け、天照大神が天岩戸から「出て」来た時のものであるとされる。

一見もっともらしいのだが、そのまま鵜呑みには出来ない。

『古事記』の場合、ニワトリは出て来ない。天照大神を本当に天岩戸から出したのは、天手力男神であり、その前段階で興味を惹いたのは天宇受賣命の踊りである。
『日本書紀』の場合、思兼神がニワトリを集めて鳴かせているが、決め手になったのはやはり、先述の2柱である。

そもそもニワトリの足場はあくまで足場だ。
止まり木に前も後ろもなく、下を通れば糞を落とされる。おおよそ、門としては不適切な構造物だ。

一方、中華街の入り口にある派手な門「牌坊」の日本風アレンジであるという、大陸伝播説もある。
鳥に関しては、雲南省とミャンマーの国境付近のアカ族の「精霊の門」に、木彫りの鳥を飾る習慣がある。

もっとも鳥居の構造上、自然に雀や烏が留まった事もあったろう。
これらは、単一の理由ではなく、複合的に組み合わさったと考えた方が良い。

彼我の境目〜潮岬神社

鳥居の力

鳥居そのものには、何か力があるのだろうか。
「止まり木」説の場合、何か力があると考えるのは無理があるので、「門」説に絞ろう。

鳥居が神域と人の領域に立つ門であるとするなら、鳥居の持つ機能は、「通す」、「止める」の2つである。

鳥居が期待通りに働く時、悪しきものが近付けばこれを通さず、そうでないものは自由に通す。
扉のない鳥居が防ぐのは人間ではない。
人ならざる、悪しき鬼(キ)の類である。

鳥居は鬼を防ぎ人を通す。そういう機能を持ったギミックなのか、そういう判断が出来る神格であるのか。
これはギミックと判断して良いだろう。
神格を模した神像、仏像の類であれば、材質や仕上がりにこだわりを持つ筈だ。
だが、鳥居におおよそそのようなものは乏しい。

木の鳥居もあれば、石の鳥居もあり、金属のものもある。
ただ、材を4本組み合わせた「構造」にその本義がある。

九字護身法は、印を結ぶ以外に、縦横の線によって表せるが、これと発想は近い。
この時、鳥居は直線の組み合わせに過ぎず、その門、すなわちそれが囲う空間にのみ、門の機能があると考えるべきだろう。

安全な鳥居

結論としては、鳥居に対して何事かやらかしたとしても、直接的な反撃はないと考えざるを得ない。
ただし、破壊すれば境界は曖昧になって鬼が素通りし、汚せば出入りするものを穢す。

更に、祀られている神からの反撃は充分あり得る。
神の財物と認識し、畏怖を持って接するべきだろう。

先述した鳥居については、祀られる対象が移転しているなら、ただの構造物に過ぎない。
他の「物」に対するのと同様、感謝の気持ちをもって片付ければ良いというのが結論だ。
この理屈の場合、塀の小さな鳥居には何の力もなくなるが、立ち小便を推奨するものではない。

神々のそれと同様、鳥居とそれが据えられた塀や家屋には、持ち主が存在する事を忘れてはならない。
汚損、破損に対する反撃は、神々のそれより更に直接的で苛酷な場合もある。

参考
・ウィキペディア 九字護身法、鳥居、天岩戸

※画像はイメージです。

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