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女一人、焼夷弾の降る町で・・・

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これは私が小さい頃、おばあちゃんがよく語って聞かせた第二次世界大戦の時の話です。おじいちゃんは出征していて、おばあちゃんはひとりで家を守っていたそうです。

うちのおばあちゃんが私が小さい時、よく戦争の話をしてくれました。本人は語って聞かせるというよりはいまだその頃感じた恐怖や苦労をリアルに追体験しているようでした。

私は小さかったので当時は『焼夷弾』とか『B29』とか『防空壕』なんて言葉、正直ピンと来なかったです。おばあちゃんがいつも私に語って聞かせたのは決まって同じ場面でした。

『夜寝ていると、空襲警報が鳴り空からB29が次から次へと焼夷弾を落とすんや。もう怖くて怖くて裸足のまま、防空壕まで走って隠れたんよ。もう真っ暗でブルブル震えてね』セリフまで決まっているかのように本当にそれはいつも同じシーンでした。

でも今となっては、その時の祖母の記憶は何年たっても何十年もたっても同じ恐怖と興奮を持って思い出されたものなんだと分かります。戦争経験者の方の話をテレビで見ることがありますが、皆さんやはりどれだけ時代が移り変わろうが、あの頃の記憶というのは実に鮮明で毎日思い出されると語られていました。

うちのおばあちゃんは当時一人で家を守っていたそうです。父は戦後すぐ産まれたのでまだ子供もおらず、おじいちゃんは出征中でした。おじいちゃんは体が弱かったので、戦地の食事係だったとおばあちゃんは言っていました。「兵隊さんとはちょっと違うからな。でも敵と戦わんですんだんは良かった」と。当時は到底言えなかったでしょうけれど、おじいちゃんが誰かと戦う仕事でなかったことはおばあちゃんにとっては唯一の救いで小さな安心感だったのかもしれません。

食べるのに困ると山で野草やイモのつるを取ってきて煮ては飢えを凌いだ。夜は焼夷弾から逃れて真っ暗な防空壕に逃げ込んだ。おばあちゃんは小さな人でした。あの小さな体で一人、必死に戦争時代を生き抜いた女性を私は今も心から尊敬しています。

※写真はイメージです。

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