2016年、カリフォルニア州のアンブロシア社は、「若返りの薬」として「若者の血漿を輸血するという療法」に関する臨床試験を行った。
輸血30日後、113のバイオマーカーを検査したところ、持続的な効果が確認されたという。
血によって若さを保つ、吸血鬼を想像させる実験だが、科学はオカルトの闇を、また1つ、照らしたのだろうか。
血の伯爵夫人
血液を若返りの妙薬とするのは、オカルトではよく見られる発想である。
その中でよく知られるものの1つが、「血の伯爵夫人」バートリ・エルジェーベト(エリザベート・バートリー)だろう。感情の起伏が激しい彼女は、ある時いつものように侍女を折檻した。その際、流れた血の滴が飛び、自分の手の甲に付いた。これを拭き取った時、自分の肌が美しくなったように感じた。
以降、エルジェーベトは「若返りの薬」として、若い処女の生き血を外用するようになったという。
具体的には、拷問具のアイアンメイデンによって血液を絞り、温かいうちに浴槽に入れて自らの身体を浸したという。
また、直接相手を齧って血肉を喰らう事もあったとも。
結果として彼女は獄死しているため、いわゆる吸血鬼になった訳ではなく、若返ってもいない。
ただ、被害者に生じる「血を奪い尽くされ命を落とす」という結果は、加害者が本物かどうかに差はなく、その意味では彼女が「吸血鬼であった」と言えなくもない。
伝説の真偽
ただし、この記録の信頼性は非常に低い。かなりの確率で冤罪だろう。
内容が突飛である、という意味ではなく、これらの「罪」を糾弾する文書は、基本的に後に彼女を裁いた者によって書かれているためである。
物言わぬ敵に対し、あらゆる罪を押しつけ、敵対した自分を正当化するのは、古今東西有り触れた行為だ。
ヨーロッパの「極悪人」が、しばしば「罪状」に、当時のキリスト教で罪とされるタイプの、幾つかの性的嗜好が追加されるが、吸血も同根である。
彼女のキリスト教的な「罪」は、旧約聖書の創世記9ー4「しかし肉を、その命である血のままで食べてはならない」という部分に直接反するものである。
彼女がこれを犯しているのであれば、
「殺したのが悪というなら、我を殺そうとする貴様等も同類ではないか」
という、テンプレの反論をされても、
殺すだけでなく、血肉を喰らう彼女の方がより多く神の意思に背いているので、明確にこちらの方がマシだ」
と、きっちり五十歩百歩式論破ができる。
つまり、敵対者にとって吸血という罪状のでっち上げには、合理性があるのだ。
吸血が冤罪というのは、その方法からも推測される。
彼女の悪行の道具となったアイアンメイデンは、19世紀に作られたものがほとんどで、彼女が生きた16世紀の実在は疑わしく、そもそも構造的に実用性に欠けている。
アイアンメイデンは、内側にトゲが無数に生えたロッカーのような造りで、ドアを閉める動作1つで、中に入れた人間を殺害し、流れる血を回収できる。
血も飛び散らず一見合理的なのだが、実際に存在するものは、あまり合理的な形をしていない。
- 立って入るようになっている
眠らせていれば中に設置出来ないし、起きている者は抵抗してやりにくい。無理矢理突っ込めば暴れて、トゲが損傷しかねない。つまり、立位型は拷問部屋の雰囲気作りのための飾りでしかない。 - 奥にトゲがある
寝転がって入れる場合、奥にあるトゲが悪さし始める。
処刑器具は、固定されるまでは痛みを与えないものだ。奥にトゲがあれば、痛みで暴れてベストポジションに収まっていてくれない。
トゲは扉部分だけ、または閉じる事でトゲが飛び出す、というギミックでない限り、意味は薄い。
そして飛び出しギミックは、当然隙間に血液が入り、錆びの原因になり、精密な機構は動作不良を起こすし、血液が腐敗すれば悪臭も放つ。 - サイズ調整が出来ない
アイアンメイデンが人を死に至らしめる道具であるなら、扉を閉めた瞬間、的確に急所を突き、直ちに殺害しなければならない。
だが、急所は体格によって大きく変わる。想定と違う体格なら、骨に当たったり、中途半端に刺されば暴れてトゲが損傷しかねない。
この問題は、サイズを複数用意するという工夫で一応解消出来るが、効率的とは言い難い。
このような非合理な道具を使うぐらいなら、刃物でピンポイントに動脈を切断した方が、遥かに手間が少ないだろう。
そして、中世の医療従事者にとって、それは容易な事だった。
ヨーロッパ医療は、四体液説というトンデモ理論を長らく続けていたが、こと血を抜く瀉血技術と下剤の知識は洗練されていた。
理髪士達は、血を抜く事にかけて、確立された技術体系を持つ、一流の職人だったのだ。
つまり、エルジェーベトの目的が血であるならアイアンメイデンは不自然である。アイアンメイデンが苦しめる為だけの道具なら、血の風呂の実現性は低い。
彼女の吸血伝説は、伝説の枠を出るものではない。
忌避された吸血鬼
他の吸血鬼伝説はどのようなものだろうか。
「吸血鬼」という語句は中国発祥であるが、血を吸う悪霊や亡者を意味する言い回しであったとされる。
僵尸(キョンシー)がよく知られ、発生原因には「正しく葬られなかった」というものがある。
死体は放置する事で、感染症を引き起こしたり、猛獣に人肉の味を覚えさせるなど、社会的なリスクのある物体である。
死体処理の戒めとして付けられた属性の側面がありそうだ。
ヨーロッパにおいて吸血鬼は、悪魔や精霊、時にキリスト教的でない死に方である自殺者や魔女が当てはめられている。こちらの場合、元々聖書に背く悪しき者どもに、「血を食べる」という「悪行」が追加されていると考えられる。
「死んでも死にきれない者」は、不死、永遠の命にも繋がるため、この方向性で「長寿の妙薬」と発想が繋がり易い。
こちらは、「なってしまう」事への恐怖をもって、行動を戒めたものだろう。
受け容れられる吸血
ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』、トッド・ブラウニング監督映画『魔人ドラキュラ』などを経て、吸血鬼は単なる化物から人間的、更に貴族的魅力を持つキャラクタとされた。
これによって、
「若返る代わりに吸血鬼になる」
という誘いに、即断出来ず「迷う」余地が出て来た。
我らがアンブロシア社の臨床実験に対し感じるものは、この「迷い」を根源としている。
さて、同社の実験は、種を明かせば、対照実験もない粗雑なもので、ごく限られた変化を効能として騙り、金銭を集めるものであった。
そもそも、血によって延命するというのは、既に標準医療にも含まれたものである。
血液製剤がそれだ。
そしてこれらは製剤化されていてさえ、非加熱状態であれば病原体は残り、薬害が発生するという事実がある。
血漿組織のみの成分献血だろうが何だろうが、そのリスクは非常に大きいと言わざるを得ない。
仮に、オカルト的に効能が存在するとしても、感染症で死ぬ確率がそれを打ち消す可能性が高い。
血管から入れる事には、かなりのリスクがあると理解すべきだろう。
若者の血液の何らかの成分が、寿命を延ばすのであれば、その摂取は経口の方が良い。
消化器官は、強力な解毒システムである。
消化によって大切な成分が壊れる可能性はあるが、残らない可能性もある。有効成分が分からないのだから、フィフティ・フィフティだろう。
それを手にするために
長寿とは、様々な要因がせめぎ合って成立するものである。
一部要素だけ抜き出して、長生き出来る、出来ないというのは早計というものである。
大きな出費とリスクのある「アンチエイジング」法よりも、その金で大事な人と楽しい一時を過ごす方が、ずっと有意義になる、といった事も充分あり得るのだ。
それら全てに優先して、長寿と若さを手にしたいのであれば、それは、人間性と引き替えに永遠を手にする、オカルトの吸血鬼と、本質的に変わらないだろう。
思った事を何でも!ネガティブOK!