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気が付けばこの人だれ?

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この話は自分が子供のころに聞いた話で、戦時中の2人のじいさんの対照的な姿を描いた話です。

1941年から1945年まで日本は第二次世界大戦へと突入して大勢の犠牲者を出しました。
その戦争では大勢の成人男性が軍人として駆り出されまして、自分にとって2人のじいさんのうちの1人は世間が描くイメージどおりに兵隊として中国満州地域へと召集されました。

2人いる爺さんはどちらも結果的に生きて帰ることができました。

目次

物資担当の管理として

さてもう1人のじいさんですが、こちらは武器を持つ軍人として召集はされず、日本国内での活動となりました。
日本国内での活動となった片方のじいさんは集められた物資管理の担当となり終戦まで過ごしました。物資管理ということで基本的には武器を持たず、戦争の現場にもいかずして勤務するのですから、戦争を知らない自分ですらかなりうらやましい担当になったと容易に想像がつきます。

そうして当時若かった結婚もしていないじいさんは倉庫で来る日も来る日も物資の管理担当をしていました。しかし自宅には戻れず家族はじいさんの行方はわからずじまいで不安な日々を過ごしていました。

1日違えば違う運命に

そんな比較的楽かもしれない担当のじいさんでしたが、組織の命令で広島へ出張することになりました。広島への出張はまだ車も飛行機もなく列車での移動でした。ただ広島での出張中に何をやっていたかは全く聞かされていませんのでわからずじまいです。

広島での出張を終えて帰宅した次の日に大きな衝撃的な出来事が発生しました。それは昨日までいた広島で原子爆弾が投下されたことでした。そこで大勢の犠牲者が出たこともじいさんの耳にやがて入ってきて命びろいをしたと回顧していました。

もし1日出張から戻るのが遅れていたら、じいさんは死んでいたかもしれないからです。

終戦後の帰宅で

広島に原子爆弾が落とされ、さらに長崎にも原子爆弾が落とされてから1週間ほど、日本は終戦の宣言をして敗北となりました。ここで多くの軍人さんたちが任務を解除されて、それぞれの自宅へ戻ることになりました。

そしてじいさんも自宅へ無事戻ることができました。自宅にはじいさんの両親と親子ほど年齢がかけはなれた妹が住んでいました。玄関を入るなり年の離れた妹は絶叫しました。なんや?!何があった?!

結末

それは太りすぎて顔も体型も変化してしまったじいさんの姿でした。なんでそんな姿になった?!多くの軍人さんは(特に陸軍の場合は)生きるか死ぬかの戦いで満足な食事もなくやつれてる人が多い中、物資管理を担当していた爺さんたちは時折上司の目を盗んでは食料をつまみ食いしていたそうです。

そんなことを繰り返していくうちにだんだんと太ってそんな姿になってしまったと。今では信じられない話ですが、当時は黙認されていたのかもしれません。その話を子供のころに聞かされて唖然としたのは言うまでもありませんでした。

※画像はイメージです。

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