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ツクヨミとは何者だったのか?

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日本神話である記紀によると、太陽と対の夜を統べる神であり、アマテラスの弟神としてある。
性別について記載は無いものの弟とあり男神であると言われている。
活躍が乏しい上、祭る神社も他の姉弟神からくらべれば少ないという、謎の存在なのだ。

皇太神宮儀式帳には、「月讀命。御形ハ馬ニ乘ル男ノ形。紫ノ御衣ヲ着、金作ノ太刀ヲ佩キタマフ。」と記されており、太刀を佩いた騎馬の男の姿とされている。
三貴子の一柱としてあるのにもかかわらず、他の2柱と比べると印象が薄いのはなぜなのか。

目次

記紀によるツクヨミ

ツクヨミは、イザナギが右目を洗った際に生まれた神であると記されている。
そして、命じられた支配領域は、アマテラスに次ぐ「夜の食国」であり、その後に活躍がほとんど見られなくなる。
唯一の記載が異伝にあり、ある日アマテラスから命じられウケモチノカミを見てくるように言われた。

地に降り立ったツクヨミはウケモチから盛大にもてなされることとなった。
しかし、口から飯や海産物、鳥獣の肉を出したため、これを見て、「穢らわしい」と怒りウケモチを斬ってしまうのである。
その死体から、様々な穀類や肉と言った食べ物に変わったという。
アマテラスは、ツクヨミは悪い神として「もう二度と会うまい」と言い、袂を分かつ。
これにより、昼と夜が分かれるようになり、顔を合わせなくなったという。
それ以降、ツクヨミは記紀に出てこないのだ。

この話は、古事記には記載は無く、似たようなことがツクヨミではなくスサノオが行ったこととしてある。
そのためか、ツクヨミとスサノオを同一視する説もある。
この「斬る」と言う言葉は、婚姻や姦通の意味があるらしく、アマテラスには許せないツクヨミの行為から、追放となった説もある。
とにかく、最高神の怒りを買ってしまったがために、消された神であることは確かか。

ツクヨミは実在したのか?

ツクヨミは本当にいたのかという証拠となるのは、ホツマツタエであろうと考える。
ホツマツタエは、アマテルの次に位が高く、民の政治を助けていたとある。
次に、イヨとアワの二名が四国を治めていたが、治めきれなかったためツクヨミを派遣したのだという。
そこで、イヨツ姫を娶り、イフキヌシという子を授かっている。

イフキヌシとは、ハタレと言われる日本での戦争において功績のあった将軍との描かれ方をしている。
「イフキヌシ クマノクスヒと 左右にあり 白・黒駒に 諸填添えて…」
と分かるように、ハルナハハミチという戦争に主要将軍として出陣する姿が描かれている。
つまりは、ツクヨミの血脈は途絶えられてはいなかったとの見方もできる。
また、竹内文書によると、ツクヨミは月の満ち欠けと同じくらいいたという。

つまり、ツクヨミは名前ではなく氏族だったとする説がある。
追放になった氏族もあれば、古代日本に残った氏族もある。
外に出た氏族は、世界を回り、また日本に戻ってきたのが「秦氏」と言われる説がある。
こうして、表舞台に出ることではなく、裏で暗躍する氏族としてツクヨミの末裔はいたという。

featured image:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

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