ドクターキリコで炎上しているなと思っていたところ、今度は弥助で炎上していたようだ。
「割合に浜の真砂は尽きるけど世に炎上の種は尽きまじ」
炎上は追いかけても無益だが、「流行りの半纏着ぬは馬鹿」とも言うので、たまにはいっちょ噛みも良いだろう。
さて、彼らの「キャラクタの解釈」にせよ「歴史的事実」にせよ、従来の学説や解釈に真っ向から刃向かう事になる。
この時、提唱者側は、従来の説を覆すに足りるエビデンスの提示が必須であるが、ドクターキリコの件では、オカルトを用いる事で華麗に回避している。
弥助侍派も、これを使えば勝てそうだ。
すなわち、「世界線が違う」である。
ロマンティックな世界線が存在するなら
「世界線が違う」というのは、便利なオカルト概念である。
弥助が宣教師によって連れて来られた奴隷であり、織田信長に引き渡されたのは、単なる珍獣的価値であり、その後も使用人の類の扱いだったというのは、所詮我々の世界線の話である。
これが、宇宙的恐怖をもたらす存在からヴィジョンを与えられ、他宇宙、他世界線の弥助を見て、それを事実と思い込んだSAN値が適正化した類の提唱者の手記であるなら、何の不可解な点もない。
彼にとっては事実であるから。
別の世界線なら、弥助が元寇を九州で食い止めて、優れた弓で船上の扇を撃ち落としても、やり過ぎの侵略的宇宙人を木刀で殴り倒しても良い。
侍どころか将軍でも良いし、YHVHの化身でも、アダムの最初の夫でも、毛沢東語録の執筆者であっても、世界線が違うのだから仕方ない。
さて、世界線というのは、そんなに便利なものだろうか。
いわば「ロマンティックな世界線は存在するか」だ。
世界線は平行線
世界線が違う、と表現する場合、完全な異世界を指さない。
ほとんどが我々の世界と同一だが、僅かに違う。
そういう世界である。
自分が今の仕事と別の仕事になっている、選ばなかった恋人と所帯を持っている、貧乏な筈の実家が太くなっている、などなど。平行世界、パラレルワールドを少し洒落た言い方をしたものと思って間違いはない。
パラレルワールドは、次元で考えると存在が理解しやすい。
すなわち、「1次元を敷き詰めて2次元の平面が形成される」「2次元を分厚く積み上げて3次元立体にする・3次元を時間軸に詰め込んで4次元時空体にする」といった感じだ。
そして、4次元方向または5次元方向に少し座標をすらず事で、ごく密接した場所にある3次元世界に到達できる。
そこがパラレルワールドだ。
このパラレルワールドは、我らの世界と平行に存在し、交わる事はない。
もし交わる事があっても、その「交差点」から離れる程に距離や形が拡散していく。交差点の瞬間も、観察出来ないゼロに等しい時空になる筈だ。
弥助を侍にしてみよう
さて、このパラレルワールドの存在を肯定した時、弥助が侍になる世界線を、異世界にせずに上手く作れるのだろうか。
ここでいう「侍」は、「大名家臣は大体侍」「足軽だったら当然侍」「刀狩前はみんなが武装してたから侍」というような、言葉遊びではない。
武士として、名字帯刀認められ、所領を持つ武家、農工商の非戦士階級に対する階級としての「侍」だ。
少なくとも提唱者が語りたいであろう、具足をきっちり身に着け、尊敬の対象となり、歴史に名を残すような「侍」はそれだ。
織田信長が弥助を、そこまで取り立てるためには、実績が必要だ。
彼が実力主義者であるというのは、木下藤吉郎の草履の話などでよく語られる。
実力主義という事は、実力を示さない者を評価しない事と同義である。
だが、残念ながら、弥助には実力を示す場、つまり手柄を立てる戦場がない。
弥助が信長に引き合わされたのは1581年3月27日とされる。
この時点で、織田信長は名だたる戦いのほとんどを終え、地方の制圧は羽柴秀吉などの配下に任せている。
その後の戦といえば、1582年の甲州征伐であるが、前線指揮に当たったのは織田信忠や滝川一益であり、信長の部隊は戦闘に間に合っていない。
その後は、四国攻めとなるが、その移動中に起きたのが本能寺の変である。
弥助が侍になる世界線
だとすると、弥助が侍になる世界線では、信長はカジュアルに使用人を侍に取り立てていたのかも知れない。
だがここまで弛めても、弥助に名字がない事に違和感が出る。
侍は領地を持つ者であり、領地は家に属するため、家を表す姓がないままにはしておけない。ならば、その世界線では、姓が重要ではないのか。
それは家父長制全体がなかった事になり、家を継ぐための側室といった概念が崩壊し、あらゆる血統が混乱していく。
日本の制度は中国の王朝の影響を多分に受けている筈なので、そちらの体制が違った事になる。側室、後宮あっての宦官なので、政治に携わった者はまるでメンバーが異なったろう。
こうなると、もう異世界である。
近い世界線のまま弥助が侍になれる道があるとすれば、もっと早く織田信長に出会っていた場合、という事になるだろう。
最初は面白がって置いたが、戦場の力量に感心して取り立てた。だが、戦いの数は限られ、手柄は有限だ。
弥助に押し出される誰かが出る。
信長の近くで、身分の低いところからの成り上がりと言えば・・・そう、木下藤吉郎、後の豊臣秀吉だ。
弥助=秀吉という世界線
1554年かその前頃、イエズス会宣教師が黒人奴隷を連れて来て、信長に譲り渡す。
信長はこれを弥助と名付け、草履番をさせる。
この世界線なら、木下藤吉郎ルートを辿るかも知れない。
黒人奴隷が日本で発祥したとか、黒人を大黒天に見立てたという妄説まで拾うとキリがないが、とりあえず侍になる世界線でポイントを絞れば、これで収まりそうだ。
侍になった弥助に、羽柴秀吉という名前が与えられていれば、その後の世界は我らの世界とそこまで離れず、パラレルの関係を保てる。
「別の世界線」と言っても良い距離感だ。
彼の血筋が残らない理由も、徳川家康の存在で説明が付く。
大坂の役の後、後顧の憂いを断つため、秀吉の血筋と推察されるような子は根絶やしにされたろう。慎重な家康がそれをしないのは不自然だ。外見に特徴があるので、見つけるのは容易だし、特徴が出なければ歴史の影に紛れ、消えて行く。そして、秀吉(=弥助)が黒人であったという情報も、家康は消していった。
何しろ、日本には珍しいが、西洋の船には当たり前に黒人奴隷がいる。それを、鹿児島辺りの外様大名が入手して、豊臣の忘れ形見でござい」と担ぎ上げれば、折角統一した日本がまた戦国の世に戻るかも知れない。
幸い、秀吉は大きな手柄を立てた英雄だ、他の情報で押し流せば、肌の色のような些細な情報は埋もれさせられる——。
この世界線はあり得そうだが、この「弥助」は、こちらの世界の弥助よりも年齢が30年ぐらい違う、全くの別人になる。黒人でありさえすれば、そんな事はどうでも良い、というのは随分人権を無視した考えだが、まあそれは置いておく。
この世界線の問題は、「弥助伝説」が残らないという事だろう。
かなり濃いめのオカルトを使わないと、弥助を侍にするのは難しい。
世界はどの平行世界も、連綿と積み重ねられ今の形になっている。
オカルトに頼らず、新たな事実をでっち上げたいなら、その何倍もの嘘が必要になる。それは時に、真実の探究よりずっと難しく、実りのないものである。
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