先日、和歌山旅行へ出かけた。
北陸旅行の割引が今ひとつ取れず、「それなら本州の南の端を見に行こう」と、計画再編した行き先である。
和歌山県は歴史の古い土地で、熊野古道や高野山などが有名であり、様々な妖怪物語もある。
私が赴いた串本町も例外ではなく、化け猫伝説が言い伝えられている。
串本町の化け猫伝説
串本町(昔の地名で田原)には、古い寺があり猫が1匹棲み着いていた。
ある夜、住職がふと目を覚ますと、傍らで寝ていた筈の猫がいない。
見れば、縁側へ繋がる障子が拳1つ分ほど開き、月の光が漏れ込んでいた。
何となく胸騒ぎを感じた住職は庭に出たが、猫の姿も声も聞こえない。
気になりつつも住職は、猫が戻って来られるようにと、障子を同じだけ開け布団に戻った。
翌朝、目を覚ました住職の傍らで、猫が眠っていた。
そして、障子はぴったり閉められていた。
・・・猫は障子を開けたり破ったりはするが、閉めるのはただ事ではない。
その晩、住職は眠ったふりで、聞き耳を立てていた。
すると、夜半過ぎ、障子のこすれる音がし始めた。静かに顔を向けて見ると、猫が前肢でしずしずと障子を開いていた。それは、猫の動きとは思えない器用さだった。
草鞋履きで床に入っていた住職は、足音を殺して猫の後を尾ける。
猫はトコトコ歩き、山を越え谷を抜けるうち、開けた場所に辿り着いた。
「なんと……」
そこには、猫が何匹も集まっていた。
そのいずれもが、ただの猫ではない。人のように立って歩くもの、踊るもの、頭巾をかぶって来るものなど様々だった。
「これは、化け猫の寄り合いだ」
迂闊に関われば祟られかねない。
和尚は音を立てず、そろそろと立ち去った。
見られた事を知ってか知らずか、その後、猫が寺に帰って来る事はなかったという。
猫と化けの関係
化け猫伝説は、串本町に限らず、日本中、むしろ世界中で見られるものである。
人間の傍らにいる事、放し飼いにされやすく行動が読めない事、夜目が利く事、目の付き方が人間と似ていて表情から自我を感じさせる事など、化け猫という存在に重ねるには充分の特徴がある。
妖怪化する動物に「狸」がいるが、この字が生まれた大陸における意味は、「ヤマネコ」である。
これが日本でタヌキに当てはめられたのは、つまり山深い場所に現れ、地を這う獣という共通点である。
そして、タヌキやヤマネコの神出鬼没さは、山で生じる数々の事故、遭難、他の獣やクマ、毒蛇などの獣害とも結びつき、「化かす」という性質と繋がったと考えられる。
串本町の化け猫が、人里ではなく山で集会を開いていたというのも、山に出る「化かす」獣と、猫が地続きと認識されたと解釈できる。
化け猫対策
化け猫は、猫又伝説とも結びつき、「長年飼われていた猫が化ける」とされる。
化けるまでの年数を具体的に定めた伝説は多く、長野県のとある地域の伝承では12年、沖縄県では13年、広島で7年、大陸では3年と短い。
化けた猫の行動としては、人に化ける事もあれば、祟る、山の獣をけしかける、人を殺す、といった攻撃的なものも多い。
これを防ぐため、飼う年数を「決めておく」地域もあったという。
また、化け猫になりやすいとされる長い尻尾を切り落とす、残酷な習慣もあった。
日本猫(ジャパニーズ・ボブテイル)は、この考えが反映され、尾の短い猫を選んで繁殖させられた可能性がある。
串本町の化け猫伝説は、なぜオチないか
一方、串本町の化け猫は、住職にも村人にも、何の危害も加えず、古寺から去った。住職の方も、見ただけで、化け猫に何もしていない。
本州最南端、南国の串本町において、自然は必ずしも苛酷ばかりではない。黒潮による海の恵みもあり、そのおこぼれに預かる猫を見ても、腹を立てる事は少なかったのではないか。
現在ほどの潤沢さはないにせよ、明確に「のどか」な環境と言える。冬になれば草1本見えなくなり、火が尽きれば家の中ですら凍死する事もある、東北や北海道の苛酷さと比べれば。
だからこそ、化け猫伝説はオチにも困る、何とものどかなものとなったのだろう。
串本町の旅程で、猫を見かける事はなかった。
恐らく、人と化け猫の距離は、その程度で丁度良いのだ。
※画像はイメージです。
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