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えんえんらに見る妖怪の発祥

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本稿執筆時期、すなわち2024の秋アニメは、妖怪アニメが特に目に留まった気がする。
妖怪ブームは、動乱の時期に流行るとか、不景気に流行るとか、他と絡める説もあるが、「後からなら何とでも言える」という事例の典型だろう。

『ダンダダン』『妖怪学校の先生はじめました!』『夏目友人帳 漆』などはチェックしたところだが、夏目友人帳で冒頭に「渋面の妖怪」というのが出て来ていた。

同作の妖怪はオリジナルのものが多いが、この渋面は、「えんえんら」のアレンジだろう。
このえんえんらという妖怪、妖怪伝説の発祥場面を想像しやすいものの1つと言えるだろう。

目次

ありそうな妖怪、えんえんら

えんえんらは、「煙々羅」または、「煙羅煙羅(えんらえんら)」ともいう、煙の妖怪である。
羅は薄い織物を意味するので、布がたなびくような煙という意味合いだ。

えんえんらは、江戸時代の浮世絵師、鳥山石燕の『古今百鬼拾遺』が初出とされる。
『古今百鬼拾遺』は、言うなれば「妖怪図鑑」である。「拾遺」とはあるものの、必ずしも収集した伝承だけでなく、石燕自作の妖怪も含まれたという。

えんえんらも、これ以前に資料がなく、ウィキペディアでも、「石燕の創作妖怪」と結論付けられている。だが、えんえんらというのは、実に説得力を持った「ありそうな」妖怪である。
石燕は、これを創作したというより、「いないのがおかしい」と感じ、絵にしたのではなかろうか。

妖怪の成立パターン

妖怪とは何であるか、という辺りから考えよう。
妖怪の存在を肯定した場合、次の2パターンが考えられる。

  • 通常の生物が力を得て、元の生物を超えた性質を持った存在
  • 生物ではないけれど、魂を得て生物のように振る舞う存在

前者は一種の「化物」とも言えるが、上手く昇華する事で、猫又や九尾の狐といった名の知れた妖怪に収まる。
本質的には同じ生物の延長線であり、昆虫でいう変態、ポケモンで言う「しんか」のようなものだ。
そして後者は、非生物、自然現象や鍋釜など道具類が化ける。

といっても、脈絡もなく化ける訳ではない。妖怪は「なりそうなものがなる」のだ。
道具類は付喪神が分かりやすい。
手に馴染んだ道具類は、持ち主に応える感覚を持つ事がある。ここに、ある種の人格を感じ、魂あるものと解釈した、アニミズム的発想だ。

えんえんらは道具ではなく現象に相当するが、動きのある存在は「妖怪になる」というより、最初から「妖怪である」可能性も高い。

魂は何を「生き物」と認識するか

キャンプなどで濃いめの煙をじっくり見つめれば分かる事だが、このもこもこと立ち上る様子は、パワフル、アグレッシブである。

「動物」とは元より「動く物」を意味する言葉だ。
生物学的定義を取り払えば、煙だって動物だ。
SFにケイ素生物という概念がある。
ケイ素系化合物で身体を構成し、炭素を用いない。

地球人類は、生物の定義に細胞を必要としており、曖昧な存在であるウイルスまで広げても、DNAが必要である。
DNAは蛋白質であるから炭素が必須であり、定義上ケイ素生物は生物と認識されない。

えんえんらも同等である。

そしてもし、ケイ素生物に魂が宿るのであれば、えんえんらにも魂が宿り得る。
生物っぽく動く煙は、魂が宿って一瞬を生き、風に散らされ一生を終えるのだ。

炭素系妖怪?

非生物に宿る魂

輪廻転生は日本人にとって理解しやすい思想だ。
この輪廻転生に必須なのは、肉体が滅んだ後も残る魂である。

魂と肉体の関係性については、1番最初はともかく、1度死んで転生した後は、「魂の器」に相応しい「モノ」を見つけて入り込むしかない。
魂が己の器を、学者と同じ「生物」という定義で見分けているとは限らない。
ここで肉体以外に入った魂が、ケイ素生物であり、付喪神であり、えんえんらだろう。

むしろ、あらゆる動く物に、瞬間的に入り込んでいる可能性もある。
煙だけでなく、ちょっとした風や水の流れ、水に浮いた油の渦巻きにすら、魂が宿っている可能性はある。
通常は瞬時に消える程度だが、定着する事で、妖怪やアニミズム的な神に昇格する。

この発想で、竜巻の竜、炎のアグニ、坊主地獄の坊主なども定義できる。毎年発生する台風も、ちょっとした荒ぶる神だろう。

隙間を埋めるオカルト

傍らにある無機物に命を感じた時、それが生物学的な生命であると考える事は間違いである。だが、妖怪や神という事にして、隣人として付き合うのであれば、それは人生を豊かにする可能性はある。
かつて人はそのようにして生き、結構それらの隣人と上手くやって来たのだ。

科学を軽んじるべきではないが、それがまだ説明しない部分については、オカルトで埋める。
これによって別方向に視野が広がり、脳が隅々まで使えるのではなかろうか。
そうやって来たからこそ、人類は現在も存続しているとも言えるのだ。

featured image:Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788), Public domain, via Wikimedia Commons

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