7月に新紙幣が発行になったというので、小樽の金融資料館の特別展を見に行った。
金融資料館は、正式名を「日本銀行旧小樽支店金融資料館」といい、かつての日銀の北海道支店である。
このため、現在も日銀の関連施設として、貨幣に関する展示が行われているのだ。
折角小樽に行くなら、と、少し小樽土着の妖怪でもいないか調べてみたところ、「不燃鳥」というUMAに行き当たった。
不燃鳥伝説
不燃鳥は、KADOKAWAの書籍『帝都妖怪新聞』(湯本豪一)に掲載されている。
本著は、明治時代の妖怪や不思議な生物に関する新聞記事を集めたものだ。
明治31年6月28日の「都新聞(東京新聞の前身)に掲載されたのが、以下の内容である。
明治31年6月13日、北海道祝津村(現小樽市)で、村民の佐々木儀三郎を火葬したところ、彼の腹から奇形の動物が、火にも焼かれず出てきた。
体長18cm、足はカエルに似て長さ15cm、尾はネズミ、体は鳥、翼2枚、何であるかは不明、とされる。
知る人ぞ知る、知る人も少なし
非常に短いが、原文もそれほど変わらない文章量である。
小樽にいる人なら知っている、というUMAではなく、小樽でも知られていないようだ。
ネット上で調べても、FMラジオに出演した、作家で怪異妖怪愛好家の朝里樹氏によるコメントと、同氏のツイートにしか出て来ない。
しかもツイート内で元ネタとして、『帝都妖怪新聞』に言及されているため、情報が全く広がらない。
これは都新聞の捏造記事ではないか、偽物のUMA、妖怪の類か、と決めつけない方が良い。
元々、妖怪やUMAは割とそういう感じの、実在生物から、噂や思い込み、憶測、自然現象の恣意的解釈、風刺、創作などが絡み合った概念でもある。
これが何であり、何故に生じたか、それを考える方がずっと建設的だ。
不燃鳥の正体を検証する
この「不燃鳥」の正体について考えてみよう。
『帝都妖怪新聞』には、当時の挿絵として鳩のような頭が付いた動物が掲載されている。
ただ、本当にこのような姿をしていたと考えるのは早計である。
妖怪やUMAの目撃情報で、まず考えるべき事は、人間の感覚が持つ不確実性である。
人間の感覚は、写真やビデオカメラのようなものと違い、しばしば見間違える。
問題は、脳が気を利かせてしまう事だ。
中途半端な視覚情報がある時、脳はそこから類推し、記憶にあるものに当てはめる。
例えば、文字情報の場合、
「こんちには みさなん おんげき ですか」
こういう文章が、
「こんにちは みなさん おげんき ですか」
と読めてしまう。
一瞬で目に付きやすい「区切りの前後の文字」をインデックスにして、記憶から合いそうな単語を引き出し、当てはめてしまうのだ。一方、認知症などで検索能力が低下していると、書いてある通りに読めてしまう場合がある。介護の仕事をしていた時に、実際にあった事だ。
つまり、不燃鳥の発見者は、1番最初に「それ」を見て、何かのインデックスと捉え、「鳥」と思ってしまった。
では、何がインデックスになったのだろうか。
それは、羽だろう。
火葬後、まだ肉の残る死体の燃え残りに、鳥の羽が含まれていた。
このため、他の燃え残りを「鳥」の文脈に当てはめてしまった可能性がある。
死体に羽が混じる可能性は、案外に高い。
死出の旅路に向け、縁者が少しでも心地よく眠れるよう、羽毛の布団やクッション、衣類を一緒に棺に入れたとすれば、当然火葬に羽が混じる。
記事内の故人の名字は佐々木であるが、佐々木は宇多源氏の流れを汲む由緒正しい姓であり、武家の中でも成功した一派だ。「北海道開拓は、網走刑務所の囚人が動員されたのだから、羽毛製品など持てないのでは」と思うとしたら、いささか事実と異なる知識だ。
北海道開拓で知られる屯田兵は、当初は原則武士しか参加出来ないもので、平民が含まれるのは明治半ば以降とされる。北海道は、北からの脅威に対抗する前線基地であるから、戦士身分である武士を配置するのは当たり前である。
そんな武士の、それなりに財産のある家なら、高価な羽毛製品を持っていてもおかしくない。
仮に庶民同様の暮らしだったとしても、小樽の祝津は漁港であり、明治時代は浜を埋め尽くすほどニシンが獲れた。
ここに、どれほどの海鳥が集まったか。
本格的な羽毛製品は舶来品しかない時代といっても、ヘタった綿を補うものとして、綿入れや布団類に混ぜ込む事は充分あり得たろう。
極寒の北海道で綿花は育たない。使えそうな羽があるなら使わなければおかしい。
不燃の真相
だが、ふわふわしていかにも燃えやすそうな羽が、火葬場の激しい炎に曝され、燃え残るものだろうか。
やはり、かぐや姫の火鼠が如く、燃えぬ鳥がその場にいたのではないか。
現在の火葬の場合、火葬炉は「台車式」と「ロストル式」がある。台車式は、下が台になっているため、灰は全て受け止られ、人の形が残る。ロストル式は、下が網になっているため、灰がすり抜けて落ちる。
当然、火の回りが良く、燃え残りが生じにくいのはロストル式であるが、骨上げをする日本にはあまり向いていない。
上手く燃えなかった時、身体の下にはまだ火が入っていないのだから、敷き布団の羽が残る可能性は高い。
強すぎる火は、骨まで灰にしてしまう。骨を残すなら、ほどほどの加減で焼き、途中経過を観察する必要がある。
当然、燃え残りを目にする機会は充分あり得る。
焼き上がり間近、焼け加減を見た人の目に、ひらりと舞い上がる羽が映ったのではなかろうか。
瞬時、彼はそれを「鳥」と認識した。
この時、燃え残りの肉片や内臓、骨の具合などが、何やら鳥の姿のように見え、そうでない部分も、何とはなしに、生物のパーツのように見えた。
先入観のまま駐在所に報告した。
駆けつけた駐在所員は現物を見るが、既に「鳥」と言われ、羽の1枚も見せられているため、一緒に「鳥だ鳥だ」と賛同する。
現物を送る訳にもいかないとスケッチするが、「これは鳥ならどこに当たるだろう」と、頭の中の鳥に当てはめて仕上げ、これを小樽警察署へ報告する。そして焼け残りは、放っておけば腐るだけなので、改めて焼かれ、丁重に埋葬された。
拍子抜けする結末だが、元の記事に「生きていた」という描写がない。もし、「飛んでいなくなった」というなら、力を持ったUMAや妖怪の可能性も出て来るのだが、大人しく採寸もさせていたようなので、「死んだ」状態から変化なかったと解釈すべきだろう。
共に焼かれた羽が、鈴木氏の浄土での暮らしに彩りを添えている事を願うばかりである。
※画像はイメージです。
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