海に漂う脅威!機雷で撃沈された戦艦

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機雷は海に設置され通過する船に脅威を与える兵器です。
そんな機雷は過去に戦艦を沈める威力を秘めています。

目次

機雷のはじまり

機雷は海に設置される地雷と同じく通る敵へ爆発でダメージを与える兵器です。
その歴史は18世紀にアメリカ人発明家のデイビッド・ブッシュネル(潜水艦の始祖であるタートル潜水艇の開発もした人物である)が開発した樽に火薬を詰め込んだ物が現代の機雷の始祖と言える。
ブッシュネルの機雷はアメリカ独立戦争においてデラウェア川で使用された。流された機雷はイギリス船の近くで爆発し破壊する事に成功した。

1810年にはアメリカ人の発明家であるロバート・フルトンによって現在の近代的な機雷が開発されたとされる。
威力のある兵器として実証されたのは19世紀後半に起きたアメリカの南北戦争からです。
南軍側である南部連合は北軍側である合衆国に対して海軍戦力では劣勢にあり、艦船を作るよりも安価で作れる兵器として大量に投入し北軍の艦船に損害を与えた。
他の国でも機雷を使用していたが実戦で戦果を挙げたのはアメリカであった。

日露戦争で日露戦艦を沈める

1904年(明治37年)2月に勃発した日露戦争で日露双方は機雷を投入した。
機雷が威力を発揮したのは黄海の旅順近海です。ロシア海軍の拠点になっていた旅順は戦艦を含む艦隊が置かれ、日本海軍は開戦してすぐに駆逐艦による魚雷による襲撃や船舶を沈めて塞ぐ閉塞作戦を実行して旅順への攻勢を強めていた。それは機雷を設置する事も含まれていた。

4月13日にロシア軍の戦艦「ペトロパヴロフスク」が旅順沖で日本艦隊と戦闘中に機雷に接触した。この機雷によって「ペトロパヴロフスク」は沈没し600人を超える乗員が亡くなり、その中にはロシア太平洋艦隊の司令官であるステパン・マカロフ中将も含まれていた。

日本海軍も5月15日に戦艦「初瀬」と「八島」を機雷によって失った。日本海軍にとって戦艦2隻の喪失は6隻持つ戦艦が4隻に減る大きな戦力減少となった。機雷は日露戦争で双方にとって痛恨のダメージを受ける。

第1次世界大戦の戦艦沈没

第1次世界大戦では威力が証明された機雷がより多く使用され数十万発が投入された。
この大戦で機雷で沈められてしまった戦艦はイギリスの「オーディシャス」である。開戦の年である1914年10月に戦艦「オーディシャス」はアイルランド北部の大西洋で砲撃訓練をするべく出港した。この航海で「オーディシャス」はドイツ軍が敷設した機雷に接触して艦内は浸水し機関室に広がった。

傾斜して動けぬ「オーディシャス」は「タイタニック号」と同型船の「オリンピック号」をはじめ艦船が曳航を試みたがロープが切れるなどして失敗し10月27日夜に転覆して爆発を起こして沈没した。
機雷は主力となる戦艦を沈める威力を持ち現在でも大きな脅威としてあり続け開発や保有が続けられている。

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