秋田県のツキノワグマ被害は、ピークとなった令和5年度で62件70名にのぼったという(令和5年11月22日情報)。
本稿執筆時、令和6年度も収まらず、ついに市街地のスーパーマーケット店内に入り込む事件が発生したという。
結果として、捕獲には成功したようだが、ここでも例のモノが現れた。
「殺すな」というクレーム電話を入れるモノ共である。
人を襲った熊は、人の弱さを学習するため、自然に帰すのはもちろん、飼育も危険であるというのは、人間なら当然分かっている筈であるから、これらクレームは熊の妖怪の仕業に違いない。
具体的には、どのような熊の妖怪であると考えられるだろうか。
スーパー立てこもり事件の概要
覚えていないという方の為に、スーパーマーケットの件を、おさらいしておこう。
2024年11月30日6時30分頃、秋田市のスーパーマーケット「いとく 土崎みなと店」店内に熊が入り込み、男性従業員が襲われ負傷した。
駆けつけた警察は、熊が逃げる前にスーパーを封鎖して閉じ込めた。
その後、猟友会の協力により、熊が箱罠で捕獲されたのは12月2日だった。
スーパーのあった場所は、土崎港のフェリーターミナルに近く、山より遥かに海に近い。
熊は住宅地をかなりの距離移動した事になる。
熊はその後殺処分されたが、これに対する非難の電話が50件前後入ったという(12月4日16時迄)。
非難のニュアンスとしては「何故殺すのか」「山に帰せば良い」といったもので、熊を殺す事そのものへのクレームである。
クレーム電話の向こうにいたのが熊の妖怪である事は、かなり妥当性の高い推測と言える。
何となれば、人間の大多数は人を傷付けた熊の味方をせず、熊の大多数は電話をかけられない。
そして、訴えが必ず電話であり、対面による抗議という手法を採らないのも、姿が熊である事の証左だ。
これらをすり抜け、クレーム主が人間である確率は、妖怪の実在する確率と良い勝負だろう。
同じ低確率なら、納得出来るものの方が良い。
熊の妖怪
実のところ、熊の妖怪伝説というのは、同じ山野で遭遇し得る、狐狸河童天狗などと比べると、かなり少ない。
1つは、江戸時代の桃山人による著作『絵本百物語』に登場する「鬼熊」。
木曽谷、今でいう長野県の辺りに出没したとされ、歳を経た熊が妖怪化したものである。
直立歩行して牛馬を捕らえて持ち帰り、山で喰らう。その力は10人がかりでも動かない大岩を、軽々と谷底に投げ飛ばす程だという。
もう1つはアイヌで、「アラサルシ」という悪しき熊がいる。
アラ (1つ)・サラ(尻尾)・ウス(生えている)
という意味で、性質の悪い熊のうち、赤毛で尾の長いものを指す。
また、アラサルシは、尻尾が1本生え、体毛がなく、自在に変身し人間を捕らえて喰う猿のような化物の名でもあるという。
鬼熊は、電話をかけるだろうか。
妖怪と呼んでいるが、行動パターンは大きな熊の範囲を出ていない。
極端に大きい野菜などを「おばけ○○」と呼ぶが、それと近い意味の「妖怪」だろう。
アラサルシの場合、可能性はあるが「変身する」という能力が出た時点で「熊が化けた」のか「熊に化けた」のか分からない、胡蝶の夢パラドクスに陥る。

熊は妖怪になりにくい
ウィキペディアの場合、この2種類の他に記載はない。
それ以外のネット検索でも、鬼熊が出るばかり。
妖怪から離れるなら、アイヌの善神キムンカムイはいるが、それ以上は出て来ない。
ギリシャ神話でカリストとアルカスの母子が大熊座と小熊座になるが、天に貼り付いているので電話はかけられまい。
熊童子という酒呑童子の手下はいるが、これは名前に熊が入っているだけで、生態的には鬼だ。
落語のレギュラーキャラクタの熊五郎に至っては、まんじゅう好きなただの人間だ。
他のものを辿れば、ロシアの象徴が熊であり、朝鮮の神話に熊が人になり神と交わって国を興したというものがある。
結論としては「熊はあまり妖怪にならない動物」といってしまって良いだろう。
狐狸の類のように、化けて人を騙すような、そういった超常能力を持つものではない。
これは、そもそも熊がパワフルであり、わざわざ妖怪にしなくても充分脅威であった、という辺りが原因と考えられる。
このため、熊に対する怖さは直線的で、より大きく強くなって人を襲う、というような鬼熊伝説にイメージが固定されてしまうのだ。
熊を擁護するもの
ここで我々は考えを柔軟に持つ必要がある。
熊を擁護したいのは、必ずしも熊だけではないのではなかろうか。
被害者である人間を差し引いて考えても、電話をかけられる存在はいる。
それは、熊を殺さない事が利益になる山の妖怪である。
山の妖怪というのはつまり、狐狸の類から、山彦や山姥などだ。彼らは電話をかける事が可能だ。番号は持てなくても、公衆電話ぐらいは使える筈だ。
だが、熊は生半な妖怪では太刀打ち出来ない、危険な存在だ。
妖怪にとっても、熊は危険生物で、殺処分にクレームを入れる動機はないのではなかろうか。
確かに、人が単に野生の熊を狩るならそうかも知れない。
だが、今回問題になったのは、人里に下りて来た個体だ。
熊は記憶力が良く、執着心が強い。
餌場と決めたら通い続けるし、獲物を奪われれば全力で取り返しに来という。
福岡大ワンゲル部事件や、三毛別羆事件で被害を広げる事に繋がった習性である。
当然、熊を生かして山奥に放獣したところで、また同じスーパーに行く事は明らかだ。
これを山の生物視点で見れば、まことに結構な事だ。
人里のものを食べた熊は、人里の食べ物に執着するから、山の獣は襲わない。ならば殺さず残しておいた方がずっと都合が良い。
何故なら、山の生き物にとって、熊より厄介なのは人間だからだ。
銃を持つ人間は熊よりも強く、鎌を持つ人間は新芽を残さず刈り取ってしまう。何も持たないと油断していたら、罠が仕掛けられたり、タバコを投げ捨て木々を焼いてしまう事もある。
人里に下りる癖が付いた熊を生き残らせ、ウロウロさせておけば、人間はそちらに注意を向け、山に登るどころではない。
そう、このクレーム電話は、個ではなく、山の妖怪達が協力して行っている工作活動なのである。
人として生きる
なるほど、自然が我らに牙を剥くならば、人はそれを受け容れて滅ぶべきではないか。
そう考える人もいるかも知れないが、慈悲深いようで考えの浅い意見だ。
生物は利己的な行動でぶつかり合いながら、何とか均衡が取れているものだ。均衡は力をゼロにするのではなく、引き合った方が安定する。
人間ばかりが引く手を揺るめればバランスが崩れ、中途半端に増えた動物は、やがて手痛い目に逢う。
人間は人間として、矜持を持って生き延びる事もまた、生態系を支える1つの役割なのだ。
※画像はイメージです。
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